第2話

09.帝国の追っ手


「――やってくれたな……!!」

 馬ががむしゃらに走って行ってしまったのを見届けたドミニクが、その瞳にありありと怒りを滲ませて呟いた。
 そんな彼の足下では呻きながら兵士がゆっくりと起き上がっている。落馬しはしたが、腐っても軍人。この程度で戦闘不能者が出る程、柔らかくはなかった。

 にこやかな笑みを浮かべたイアンがかつての同僚に応じる。

「おや、貴方が一番に私達を討伐しに来ましたか。意外です。帝国は今、随分とお暇なようで」
「忙しいに決まっているだろう!?まだ新しい顧問魔道士すら見つかっていないのに!」

 イアンの抜けた穴は未だ修復には至っていないらしい。尤も、彼女のような人間を直ぐさま補充できる環境にあるのならば、帝国はすでに大陸統一を果たしているだろうが。

 睨み合うイアンとドミニクを尻目に、ジャックは先程からずっと黙っているブルーノへと視線を移した。帝国を恐れて敵に回らないとも限らない。目を離すべきではない、と判断したからだ。

 しかし、先に動いたのはドミニクの方だった。

「まずは127号を取り押さえろ!僕はイアン殿の相手をする!」
「大きく出ましたね」
「大魔道士と言えど、1人の後衛。前衛の手が塞がっている間、貴方はどうしたって無防備だ」
「成る程。そうであると良いですね」

 大魔道士とやらの言葉が強がりなのか本心なのかを計るより先に、ドミニクの指示を受けた兵士達が手慣れた動きで陣形を組む。自分達3人を逃がさないように、しかし誰かが攻撃を受ければ直ぐさま助けに行けるような距離感だ。
 やはり帝国兵、脱走者の捕縛から始末まで手慣れたものである。

 おいおい、とブルーノが呆れたように肩を竦める。

「俺は一応、しがない冒険者なんだがな……」
「ブルーノ、貴方は逃げると良い。私達に付き合って、貴方までお尋ね者になる事は無いぞ」

 リカルデの言葉に少しばかり迷う素振りを見せたブルーノはしかし、その首を横に振った。

「いや、いいわ。乗っちまった船を途中で降りる訳にはいかねぇ。後衛のイアンも気に掛かるし、このまま帰るのも気になるからな」

 言うが早いか、ブルーノは大きくメイスを振り回した。その勢いたるや、風圧を感じたと錯覚させられる程だ。スライム戦では足止め程度の役にしか立たなかったが、物理攻撃が通じる相手には頼もしい事この上無い。

 ――よし、まずは雑魚をさっさと処理して、イアンを助けに行くべきだろう。
 ちら、と対ドミニク戦を進んで引き受けたイアンに視線を移す。彼女は後衛職とは思えない動きで、振るわれるドミニクの剣をひらりと躱していた。しかし、動きの覚束無さからして長くは保ちそうにない。

「……ジャック!ボーッとしていないで、先に後衛を倒せ!」
「後衛!?」
「もっと遠くだ!見えるだろう、杖持ってる奴が一人いる!!」
「ふざけんな、全員武装してただろ……!」

 ガッチガチの鎧を着込んでいた兵士集団。しかし、それは後衛職を隠す為のフェイクだったらしい。リカルデの言う通り、一団から離れた所で黙々と術式を紡ぐ魔道士の姿を見つける。言うまでも無く、他の兵士と同様の鎧を着用しており、得物を持たなければそれが後衛であるとは気付けないだろう。

 共通認識を利用したドミニクの戦法に舌を巻く。
 元、騎士兵だと聞いていたから勝手に正々堂々と仕掛けて来るものだと思っていた。

 手の空いている者はいないか周囲を見回す。イアンは当然無理だとして、リカルデも今し方斬り掛かって来た兵士の相手をしている。ブルーノは3対1とリスキーな戦闘に身を等していた。

 ――ああ、これ、俺の役目か。
 明らかに自分しか手の空いている者がいない。役割を瞬時に悟った。
 身を翻し、魔道士に狙いを定める。一気に距離を詰め、術式を発動させる前に伸す。今から間に合うだろうか。

「ジャック、行かなくていいぜ」

 唐突に響いたブルーノの制止により、自然と足が一瞬だけ止まる。その一瞬を見逃さないと言わんばかりにブルーノがそれを投擲した。
 ――今までメイン武器として振り回していた大振りのメイスを。
 それは回転しながら、帝国魔道士に飛来する。格好は兵士のそれだったが、やはり中身はただの魔道士だったらしいその兵士は悲鳴を上げる暇も無くメイスが頭に命中し、昏倒した。その場にドサリと崩れ落ち、編んでいた術式も空気の中へと四散する。

 一瞬だけ静まり返った戦場。
 しかし、状況を徐々に把握した兵士の1人が声を上げた。

「え、得物を失ったぞ!今だ、畳み掛けろ!」
「何をやっているんだ、貴方は!」

 鍔迫り合いをしていたリカルデが兵士を押しのけ、ブルーノの元へ駆ける。それを見たジャックもまた、無防備を晒しているゲストを手助けする為、ようやっと動き出した。

 今まさに素手の相手に剣を振りかぶった兵士を背後からリカルデが強襲する。ブルーノを隙だらけだと見ていた兵士その人もまた、彼女から見れば隙だらけだったのだろう。最早陣形も何もあったものではない。ブルーノの振る舞いに帝国兵士が浮き足立っているのが分かる。

 ジャックは横合いから伸びて来た槍を躱し、柄の部分を握りしめる。細い木材で出来ていたそれは半ばから折れて使い物にならなくなった。茫然としている兵士の首に手刀を振り下ろす。
 ――案外、数が多い。さっき出会った時はそうは見えなかったが、少し離れて走っていた後続の兵士達が集合しつつあるのだろうか。

「おい、ブルーノ!大丈夫か!?」
「おう、俺は平気だぜ!」

 とても人間とは思えない腕力で兵士を千切っては投げ、千切っては投げするブルーノ。得物は飾りだったのだろうか。