第2話

08.スライム討伐


 ***

 スライムの足止めを始めてから僅か1分弱。素早い動きで魔物を翻弄していたジャックの耳に、イアンのあまりにも落ち着き過ぎた声音が届く。

「準備が整いました。離れてください」
「了解した!」

 最後まで残っていたリカルデが飛び退く――のとほとんど同じタイミングで、イアンの編み上げた術式が強い光を放つ。周囲に清廉な水の気配が満ちた。それらは少しばかり湿っている地面から溢れだし、意志を持ったように術者の周囲を漂っている。
 見た所、水量は十分過ぎる程に十分だ。

 ふ、と僅かにイアンは顔をほころばせた。対峙しているスライムには目もくれず、斜め下を見つめて何かを思い出しているように見える。

「懐かしいものです。昔、山程もあるスライムを討伐しましたよ。討伐作業に1週間も掛かりました。アレに比べれば、この程度のスライムなど可愛いものですね」

 例の小振りな池、およそ2杯分程もある水がスライムを取り囲む。元々、動きはそれ程早くないそれは困惑したように右往左往している。
 一瞬だけその動きを止めた水は、次の瞬間、スライムを中心として集まり始めた。水球に閉じ込められた魔物は弱々しい動きを繰り返していたが、徐々にその体積を減らし、最終的には水の中に溶け消える。

「討伐完了。骨のない魔物でしたね」
「まあ、実際骨は無いわな。いやあ、たまには人と組むのも悪くねぇ。楽しかったよ。協力プレイって感じが」

 心なしか、弾んだ声でそう言うブルーノに対し、スライムと対峙していた時より綺麗な笑みを浮かべたイアンが問い掛ける。

「それなのですが――ブルーノさん、貴方、どうやってソロでスライムを討伐するつもりだったのですか?見た所、貴方が持っているそのメイスは魔石加工が施されていません。ただの金属の塊でスライムを打ち倒す事は不可能です」

 狼狽したように、ブルーノが一歩後退った。

「え、いや……。良いだろそんなの、別に」
「良く無いですね。と言うより、純粋に興味があります。スライムへの新しい有効打が見つかるかもしれないのですよ?」
「嘘吐け、スライムへの有効打?どうだって良いんだろ、スライムの事なんざ。まあ、俺は、相手がスライムだって知らなかったけれど?」
「貴方の嘘は下手過ぎますね。ブルーノさんが、『スライムの討伐に行く』、と仰ったのですよ?他でもない、スライムを討伐すると」

 言われてみれば、ブルーノの行動は矛盾している。
 そもそも、手伝いを申し出たのはこちらだ。ブルーノに頼まれたから手伝っているわけではなく、あくまで店を開けてくれた礼に手伝う、という押しかけのような状況である。

 ――だが、それが何だと言うのだろうか。ブルーノとこの先、会う事は無いだろう。彼は追っ手という訳でも無いし、彼の個人的な事情に触れる必要があるのだろうか。
 流石にブルーノが気の毒に思えた為、ジャックはイアンの詰問に割り込んだ。

「ブルーノの事はどうだって良いだろ。俺達はまず、ここから離れないと」
「そうですね。貴方達の逃亡生活に関してはまったく無関係でしょう。ですが、先にも述べた通りブルーノさん、貴方の存在そのものに私は大きな興味があります」
「だ、だから、それは逃げる事に関係無いんだろ。あんたもそれは認めてたはずだ」
「無関係。だから何だと言うのですか。気になる事を暴くのに、理由など必要ありません。それに、彼については当たりが付いていますから」

 全く聞く耳を持たない。そうだ、この異様な雰囲気は自分が彼女の部屋に押しかけて、脱走に誘った時に似ている。尽きない探求心と、欲望の権化。それこそがイアン・ベネットだ。即ち、彼女にとっては人生の暇潰しになれば何だっていい。

 不思議と、ならイアンは見捨てて行けばいい、という考えには至らなかった。何とか説得して、今はこの場から離れる事を優先させようという気持ちばかりが急く。

 が、その場の空気を変えたのは今まさに詰問されていたブルーノ本人だった。

「――何か、足音が聞こえるな。馬の蹄だ。それも、たくさんの」
「蹄!?というか、ブルーノ、貴方は耳が良いな」
「……あー、まあな」

 リカルデに対し肩を竦めたブルーノは一点を凝視している。程なくして、人間よりは五感が鋭いジャックもまた、人の話し声を拾った。
 イアンが薄ら笑みを浮かべる。

「帝国の追っ手ですか……。数はどのくらいいるのか分かりますか?」
「数?12、13人くらいかな」
「成る程。では迎え撃ちましょう。馬に乗っているのでしたら、リナーブ村を出ても追い付かれてしまいますし、ここには人気がありません。迎撃するには相応しい場所だと言えるでしょう」

 確かにそうだな、とリカルデがしきりに頷く。仲間を得たイアンは一層笑みを深くした。酷く邪悪な、何かよからぬ事を企んでいる笑み。

「そうと決まれば、まずは馬から下ろしてさしあげないと。さて、一番乗りの追っ手は誰でしょうね?」

 言うが早いか、イアンがローブに手を突っ込む。ローブの中からずるり、と魔道書が出現した。随分黒々としたローブだが、マジックアイテムらしい。
 スライムを相手取っていた時よりも速く、正確に術式が編み込まれていく。水を出現させた魔術より更に複雑だ。それが、正確無比に宙へ描かれていくのは少しばかり壮観な光景だった。

 ところでよ、とブルーノがやや遠慮したように呟く。

「――何でお前等、帝国の人間に追われてんだよ」
「あっ」

 そうだ、ゲスト参戦のブルーノは事情を知らない。当然と言えば当然だが、過半数が共通理解している項目だったし、他人にベラベラと喋るような話しでも無かったので説明していなかった。

 どうすべきか逡巡している所に、騎乗した兵士達が登場する。酷く見慣れた、帝国兵である事を分かりやすく示す鎧を纏って。
 その中に見知った顔を発見する。帝国の大尉、ドミニク・シェードレ。自分達を追って来たように思われたがしかし、ドミニクの顔には驚愕が浮かんでいる。彼は何をしに来たと言うのだ――

 何事かドミニクが口を開こうとした瞬間、地面が上下に強く揺れた。地震かと見紛う程の揺れ。堪らずジャックは膝を突いた。
 兵士の何名かが落馬し、馬が慌てたように嘶くとどこかへ走り去って行く。
 落馬するより早く、瞬時の判断で馬から飛び降りたドミニクだけが無傷だった。

「お、おい、イアン!俺達まで巻き込むんじゃない!」

 ジャックはイアンへと抗議の声を上げた。
 そんな彼女はと言うと、微かに首を傾げて周囲を見回している。ブルーノだけが立ったままバランスを取る事に成功し、リカルデは盛大に尻餅をついていた。
 状況を鑑み、初めて魔道士は納得した、と言わんばかりに手を打つ。

「すいません。てっきり避けるかと思ったので」
「は!?いやいや、どこでその結論に達した!?」
「真横で魔道士が術式を作成していたら、警戒するでしょう?」

 ――しねぇよ!
 言葉の代わりに、盛大な溜息が口から吐き出された。