10.《旧き者》
しかし、ブルーノの無双じみた大暴れもにもまた限度というものがあった。何せ、完全に徒手空拳の彼は恰好の標的だ。荒廃した土地に1粒落ちた砂糖へと群がる蟻。そんな様子で兵士が殺到している。
ブルーノの攻撃を僅かにでも受ければ地面に転がされてしまうものの、彼が無作為的に振るった適度な暴力如きでは帝国兵は伸びたりはしない。少しすると起き上がって再びブルーノへ向かって行くという地獄絵図が繰り広げられている。
「おいおい……」
「余所見をするな!」
突き出された騎士剣を慌てて回避する。肩口を少しばかり掠ってしまい、赤い鮮血がたらりと溢れた。
二撃目、剣を振るおうとした兵士の腹に足の裏全体で踏むように体重を掛けた蹴りを繰り出す。相手は帝国兵だが、こちらは帝国産ホムンクルス。純粋な腕力で人間に劣るはずもない。
案の定、鎧の一部が凹んだ。くぐもった呻き声を上げてまた1人、兵士が倒れる。
――時間が掛かりすぎだ。イアンは……?
余人の立ち入りを禁じているかの如く、一騎打ちに洒落込んでいる魔道士は、何故か騎士と殴る蹴るの泥仕合に発展していた。ただし、イアンの方は至極愉しそうなのでドミニクに付き合っているだけなのかもしれない。
遠くからではよく見えないが、あれはエンチャント術式か。素人丸出し、イアンの蹴りをドミニクが躱す。彼女の足は背後に立っていた木にぶち当たり、その木をなぎ倒した。
「うわっ、ブルーノ!?大丈夫か!?」
「どうした!?」
リカルデの「うわぁ……」、という少しばかり引いたような声音で我に返る。見れば、ブルーノのサングラスが地面に転がり、それを掛けていた当の本人は額を片手で押さえていた。指の隙間から赤い滴が零れている。
何か痛々しい惨劇の痕のようなものが見えるが、帝国兵がここぞとばかりに叫んだ。
「今だ!今度こそ畳み掛けるぞ!クソッ、何てタフな奴だ!」
わー、と指示を出している1人に合わせる形で兵士達が再び士気を取り戻す。それを見るだけで、どれ程ブルーノに苦戦していたのかが手に取るように分かるのだから人とは分かりやすい生き物である。
早く助けに入らなければ。時折向かって来る兵士を着実に戦闘不能へ追い込みつつ、ジャックは慌てる心中そのままにブルーノ達の元へと急いだ。
のだが、結果的に言えばそれは意味を成さなかった。
ブルーノが流れた血を触媒に、儀式魔法を発動させる。以前、イアンが使った『行動による様式から魔法をショートカット発動させる』ものではなく、血液を媒介にしなければ発動し得ない魔法を発動させているのだ。
目が潰れる程の光。それが収まった頃にはひんやりと冷たい空気が頬を撫でた。
――雪原。
酷く寒い日の朝のような、白く凍り付いた地面と氷付けの人間像。それは軍の拠点を抜け出す時に見たアレとそっくりだ。
流行ってんのかな、という見当違いの現実逃避をしつつ、前衛が唐突に繰り出した大規模魔法のせいで帝国兵達の士気が消し飛んだのを確認する。先程まで勇み足だった彼等の足は、今や完全に止まっていた。
「ブルーノ!あんた、魔法……を……え?いや、誰だあんた」
誰だ、なんて思わず口にしてしまったが、それが誰なのかジャックには分かっていた。
ブルーノは額から伝う血液を袖で拭うと、困ったような顔をして肩を竦める。以前ならば何て気障ったらしい仕草なのだろう、という感情しか抱けなかったそれだが、今は見方が180度変わってしまった。
溢れた鮮血のように赤々とした双眸、この世の者とは思えない程整った顔立ちは少しばかり中性的だ。ガラの悪いサングラスのせいで堅気には見えなかったが一変、イメージとしてはお忍び王子様と言ったところか。
こんなの、誰だと混乱しても仕方が無いに決まっている。
驚愕の事実に震えていると、不意に気付いた。
――あまりにも不自然な程、周囲が静まり返っている。この場は戦闘が凍結した状態にあるが、隣ではイアンとドミニクが殴り合いをしていたはずだ。
バッ、とイアンへ視線を向ける。
無表情なイアンと狼狽した様子のドミニクは戦闘行動を完全に停止していた。
「ど、ドミニク大尉……!?」
鬼気迫る表情の2人を見、兵士が恐る恐ると言った体で声を掛ける。辛うじて魔法の直撃を避けた、逃げ腰の若そうな兵士だ。
我に返った様子のドミニクがブルーノを見据え、震える声で言葉を吐き出す。
「《旧き者》……!な、何でこんな辺鄙な場所に!?」
「やはり人ではなかったのですね、ブルーノさん。ですが、流石にこの結果は予想外でしたけれど」
伝承種族の一角を担う存在、《旧き者》。
ジャックも知識だけはそれについて知っていた。人類が存在するより前から世界に君臨した、不老の種族。男女関わらず絶世の美貌と赤い瞳が特徴的で、それ以外は人とあまり変わらない。
しかし、その美しさと毅然とした態度、孤高の存在として居座り続ける態度を推して《尊き者》と呼称される事もある。
対するブルーノは盛大な溜息を吐いた。うんざりしているようでもあり、どことなく残念そうでもある。
「何でここに、って……。最近の若い俺達の同胞は人間に紛れて生活してる奴も多いからな。ま、年寄り連中に要らん仕事を押し付けられる事もあるが」
「そんな事はどうだっていい!」
「ええ……。お前が訊いてきたんじゃんよ。まあ、加減すんのも楽じゃ無いわな。人の営みに首突っ込んで悪かったよ。俺はお前等を追ったり、皆殺しにしたりはしねぇから、逃げるなら逃げな。俺は、追わない」
興醒めした、という顔をしたイアンはその視線をドミニクに向ける。帝国大尉はと言うと、青い顔をしてどうすべきか逡巡しているようだった。見かねたイアンがブルーノに訊ねる。
「もしかして、今まで協力関係にあった我々にも口封じと称して襲い掛かって来たりしますか?」
「悪魔かお前……。ンな事しねぇよ。今まで仲良しこよしやってたのに、状況変わったから口封じしまーす、て。最早その発想が恐ろしいわ。どんな殺伐とした世界で生きて来たんだっての……」
「つまらないなあ。ドミニク大尉も撤退してしまいそうですし。仕方ないので追い打ちでも仕掛けてみましょうか。狩りという愉しみ方もまた一興」
――流石に伝承種族に喧嘩を売るのは自殺行為ではないだろうか。
それも、人類存在以前から君臨する化け物が相手である。ブルーノは軽く彼女の無礼を受け流したが、寛容さを持たない《旧き者》だったら今この瞬間に第二ラウンドが始まっていたかもしれない。