03.空から見た風景
大の大人2人を乗せた魔法の箒はいとも簡単に浮かび上がった。それはしっかりとした安定感でゆっくりと、次第に速度を増し、上昇する。
イアンは慣れているのかゆったりと腰掛けていたが、ジャック自身は内心震え上がっていた。何せ、既に箒から落ちて地面に叩き付けられれば即死の高さにまで上がっている。こんな細い柄にしがみついているだけで、安心感が得られようはずもない。
「――……これは」
思いの外深刻そうなイアンの声音で我に返る。下を見ないよう、彼女の様子を伺うとこちらの怯えなど意に介した様子も無く更にイアンは言葉を紡いだ。
「下を見てください。これはなかなかの絶景ですよ、ジャック」
「あんた、なかなか残酷な事を要求してくるな」
「はい?」
そろそろと視線を動かして帝都を見下ろす。
すぐに彼女の言わんとする事は理解した。魔道素人の自分でも分かる。これは――
「帝都そのものが、術式、って事か……?」
「ええ」
完璧な建物の配置。設計図を元に造られたのであろうそれは、複雑な術式の様相を細い通路や建造物の立地で完璧に表している。高く上がっているからこそ、それが術式だと把握出来たのだ。
ただ――
「こんなの、発動出来るのか? 俺は魔道関係は駄目だから分からないが、あんたがいつも使ってるものよりずっと大きく見えるぞ」
「《旧き者》であってもこんな規格外のサイズをした術式を起動させる事など不可能です。魔力が圧倒的に足りない。それに、何をする術式なのかも分かりません。しかし――方法が全く無いという訳でもありませんね」
「と言うと?」
「まず、チェスター殿の館にある魔力増幅器。あれを全て解体し、研究し、更に巨大な増幅器の作成に成功すれば小さな魔力でも起動自体は可能です」
「おー……。つまり?」
「帝国が各地で戦争を起こしていたのは、その魔力増幅の『何か』を得る為のものだった可能性があります」
ここに来て帝国の目論見が――というより、一個人の目論見が段々と白日の下に晒されてきた。こんなのは、恐らく国の総意で行われている事では無い。
そして、と深く考えるジャックの思考を引き戻すようにイアンは淡々と解説を続ける。
「私の《ラストリゾート》。これを探す名目もあったかと。術式を起動させるのに、これ程理想的な道具はありませんし」
「……じゃあ、結果論にはなるが、あんたを連れ出したのはある意味正解だったって事か」
「偶然にしては出来過ぎた結末ではありましたが。とはいえ、何をしたいのかさっぱり分からないので貴方の行動の正否は問えません」
そうだが、たくさんの人間が住む国そのものを利用して私腹を肥やそうというのは止めて然るべき害悪ではないのか。思ったが、そもそもイアンも割と人間離れした思考回路の持ち主なので、出口の見えない論争になると思い止めた。
「ところで、ずっと上から眺めている訳だが、何をする為の魔法なのかは全然分からないのか?」
「分かりませんね。完全にオリジナルの術式と言えます。ですがまあ、こんな事をしでかす方は一人です」
「ルーファスか?」
「ご名答。こんな馬鹿げた真似を考えるのは彼で間違いありませんよ」
術式の解読を諦めたのか、高度がぐんと下がる。魔法の原理など一切不明なので、彼女がどうやってこの箒を操っているのか全く分からない。訓練すれば自分も出来るようになるだろうか。やや現実逃避しながら、近付いて来る地面を見つめる。残念な事に、もう高所にも慣れてしまった。
不意にイアンがぽつりと呟く。
「――まあ、師匠が作った術式と言うのであれば本人に聞くのが一番早いでしょう。ここまで来て、まさか一度も会わないなどという事も無いでしょうし」
「力尽くで吐かせるって事か?」
「それは向こうの方向性にもよります。私へ協力を仰ぐ腹積もりであれば、最初にそう説明する事でしょうし」
――それは、ルーファスの意見が理に適ったものであれば協力を惜しまないという意味だろうか。
急に裏切られては堪ったものではないので、恐る恐る訊ねてみる。
イアンは真意の読めない薄ら笑みを浮かべてみせた。
「まさか。こんな術式、私の《ラストリゾート》をフル稼働させても扱えませんよ。かなりの無茶をする事になるので余程で無い限りはお断りです」
「無茶にはなるが起動は出来るのかよ……」
「私の、と言うより《ラストリゾート》の効能にはなりますが。一応、可能ではありますね」
やりたいとも思いませんが、とハッキリとイアンはそう言った。相当な無茶を強いられるらしい。
他人事ではありませんよ、とイアンは笑みを一層深くした。
「私が師匠のお手伝いをする事になれば、最初にこの世から消滅するのは間違いなく貴方です。ジャック。まずは預けている私の物を取り除かなければならないのだから」
「あっ……。いや本当、気変わりとかしないでくれよ。頼むから」
話をしている内に、ようやっと地上に降り立った。まだ足下がふわふわしている感触が抜けない。