3.

 そうして、翌日。
 言葉通り対策を考えてきた樒はいつも通りの緊張をその顔に浮かべながらも、どこか誇らしげだった。余程自信があるのだろう。
 その脱走方法を聞いた時は上手くいくのかとはらはらしたものだが、もう後には引けない。
 青桐は手にした商人の服と笠を見やる。続いて、行ったり来たりと忙しない人の群れを見た。良いトコ育ちの青桐にはそれが何をしている光景なのかいまいち分からなかったが、大勢の人が行き来する様は海の中で魚が泳いでいるのに似ていた。

「――樒」

 その大勢の商人達の中で個を失わない存在、それが小宮山樒である。現場監督であるらしい彼女は周りに居る自分より幾らも年上の人間を相手に偉そうに指示を出していた。相変わらず図太い神経の持ち主である。
 そんな領主様と一瞬だけ視線が合った。が、すぐ逸らされる。
 瞬間、ごくごく自然な動作で樒が片手を挙げた。それが直ぐさま下ろされる――

「行くか。わざわざ私の為に時間を割いてくれた樒の為だ。失敗は赦されない」

 笠を目深に被り、樒に言われた通り堂々とその行き来する人間の中に混ざる。これだけ人がいれば自分の存在など容易に埋もれてしまいそうだ。
 すっ、とやはり自然な動作で樒が隣にぴたりと張り付いた。
 横目で自分より身長が低い彼女の存在を確認する。手慣れているのか、樒は青桐を一瞥たりともしなかった。

「樒。少々、尋ねたい事があるのだが」
「――ッ!?」

 思わず足を止める。呼ばれたのは彼女なのだから、何食わぬ顔で通り過ぎればよかったのだがそういう誤魔化しが、青桐には出来なかった。

「あぁ、樒?そちらの商人は?」
「あ、ああ。こちらの方には特別な荷を運んで貰うので、倉庫へ案内しているのです」
「そうだったか。ところで、青桐を見ていないか?朝から姿が見えないのだが・・・」

 心臓が早鐘を打つ。樒の話し相手は足下しか見ていないから見えないが、履き物は周りの商人に比べて立派だ。というか、聞き覚えのあり過ぎる声である。

「では、酸塊殿。見掛けたら貴方様が捜していたと青桐殿へお伝えしましょう」
「ああ。頼んだ。悪いな・・・青桐は黙って城から出て行くような馬鹿な真似はしないだろうから、きっと城内にはいるんだろうが」
「そうでしたら・・・私は今、手が離せないので無理ですが、城内に芥菜がいるので彼に捜すのを手伝ってもらってはどうでしょう?」
「そうだな。さすがだ、樒。お前は本当に頼りになる。では、俺はもう行こう。仕事、頑張ってくれ、上手い酒を用意しているから」

 ひらり、と手を振った長男があっさりと踵を返して城内へと戻っていく。
 そこでようやく青桐は安心したようにほっと息を吐き出した。

「――殿、青桐殿。抜けましたよ、もう笠取っていいです」
「あ?そうか、やっと城外か」
「はい。それで、どこへ行きますか?」
「お前は仕事を放っておいていいのか?」

 着いて来る姿勢を見せた樒は悪戯っぽく微笑んだ。

「あの持ち場、私のものじゃありませんから。放置して来て問題無いです」