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視界が歪む。ドルチェには理解出来ない言葉の羅列を並べていたサイラスの結界が完成したらしい。補助系魔術を使わせればサイラスの右に出る者はいないし、何より彼は好戦的とは程遠い性格をしている。人の手助けをしている方が性分に合うという人材は戦闘職の中で非常に貴重だ。
「行くわよ!準備はいい?サイラス!」
「大丈夫だ!」
返事を聞くより先に完成した術式を放つ。空気を焼き斬るように飛来する無数の剣が晶獣へと降り注いだ。
――瞬間、清涼な水の気配が周囲に満ちる。
それは気のせいでも、ましてや戦闘している間に小川にでも到着したのかと言えばそういうわけでもない。あっという間にバスタブ3杯分くらいの水が晶獣を取り囲んだ。じゅう、という音と共に鎮火する術式達。
「ちょっと正気!?濡れるどころか自分だって息苦しいんじゃないのそれ!?」
「・・・いや、晶獣って無機物だし川底に沈んでも息とか何とか関係ないんじゃ・・・」
「冗談じゃ無いわよ!ああもう、いつになったら帰れるって言うのよ!!」
水球が晶獣に準じて周囲を漂う頃には無効化されたドルチェの術式はどこにも見当たらなくなっていた。どころか、晶獣に水という武器さえ与えてしまった事になる。防御と同時、使役する水を獲得だなんて、まるで意志ある生物が考える合理的な戦闘のようでゾッとする。
思案顔のサイラスは一つ呻ると首を振ってこう言った。
「嫌だけど、相手はエルフの純血種だと思って戦った方がいいかもしれないな。あれ多分、俺より強いぞ」
まったくもってその通りなのだが、いまいち脳が相手を強敵であると認識出来ないでいる。これまでの戦闘データから基づいて、晶獣が強敵になり得るはずがない。或いはエルフの純血種を模したそれが本当にエルフの力を持っているはずがないと。
不意にそれまで沈黙を貫いていたイーヴァが口を開いた。
「――立て込んだ話になってきましたが、取り敢えずそれは私が使わせて頂きます」
周囲に水を集めていた人魚の彼女は手頃な水が喚び出されたのを見て、緩くそれに手を伸ばす。キィィ、と僅かに言霊のようなものを紡いだ晶獣だったがその抵抗は一瞬だった。
水は召喚師の元を離れ、イーヴァに従う。成る程、混血であるが故に水の喚び出しに苦戦したが喚び出されてしまえば水を統べる魔族側に水の方が準じるらしい。意外な事実である。