2-19
「イーヴァ!」
血の気が失せた青いを通り越して白い顔と、空気の抜けるような吐息。虚ろに開かれた目はどこも見ていない。色々な箇所を怪我しているようだが、脇腹の傷が圧倒的に致命傷だった。医者でない自分が一見しただけでそれは理解出来る。
――そうだ医者。
町まで行くのに数十分。イーヴァの状態を鑑みるに揺らさないよう慎重に運んだとして、30分以上掛かるだろう。マリィの姿も見当たらない。
頭の片隅が冷えていくような感覚を覚えながらゆっくりと少女を抱き起こした。冷たい。体温が下がってきている。自分はこのくらいじゃ少し動けなくなるくらいなので、この傷が人間にとってどの程度まずいものなのか薄ボンヤリとしか分からない。このまま放っておけば死んでしまう事は分かるのだけれど、果たしてこれは医師に診せたところで本当に間に合うようなものなのだろうか。
「――っと。ちょっと!しっかり、しなさい!」
背中にかけられた声にゆるゆると首を動かして振り返る。
一瞬、誰なのか分からなかった。
服を着ている以外の所に見える、魚類を思わせる銀のような灰色のような鱗。それらはびっしりと並んでいる。魚類を思わせる双眸もぎょろぎょろしていてとても人間のそれではない。
ただし、一つだけ覚えのあるものがあった。声と、態度。高飛車で強がりなそれはよく聞き慣れたものだった。
「マリィ・・・」
「ええ、そうよ。悪かったわねこんな格好で!だけど、そんな場合じゃないでしょ、今」
「ああ・・・そうだ、お前は怪我していないのか?」
「死にそうよ」
腹の辺りに不自然に組まれた腕。鱗のインパクトが強すぎて気付かなかったが、そこから赤い液体がこぼれ落ちていた。イーヴァが傷を負って、マリィが無傷なんて事はあり得ないのだから当然と言えば当然だろうが。
見れば人魚の彼女の足下は覚束無い。そもそも、彼女の場合はどこへ連れて行けばいい?魔族は怪我とかすぐに治らないのだろうか?分からない、分からない。
「町に行く・・・マリィ、お前はどうする?医者に魔族を診られるとは思えないが、着いて来るか・・・?」
「ねぇ、それ、本気で言ってるの?」
「は?いや、急いでいて・・・」
「だから、もうそれ手遅れだって。人間なのよ、イーヴァは。それにこの町にあるのなんて診療所だけ。イーヴァが奇跡的に助かる為には大きな病院が必要なのよ。そして、その大きな病院があるのは隣の隣――徒歩で行くのなら3日掛かるわ」
頭を殴られたような衝撃。こいつ、何を淡々と言っているのか。まだ生きている人間を見捨てろとでも言うつもりか。だいたい、少し冷静過ぎやしないか。あんなに仲良くしていたのに、友人を失う焦りというものが一切感じられない。
壁に背を預けて立っていたマリィがずるずると床に座り込む。元気そうに見えるが、彼女も怪我をしているようで体調そのものはあまり良く無いのだろう。
「じゃあ、どうするんだ?このまま、死を看取れと?何もせず?俺はそんなの絶えられない」
「海に連れて行ってちょうだい」
「あ?おい、巫山戯てる場合じゃ――」
「一緒に海へ行くって約束したのよ。もうそんな約束を守れるアテも無い、今しかないの!」
「怪我した人間を海に連れて行ってどうすると言うんだ。沈めるのか?海葬?もう葬式の話をしているのか?」
「あたし達人魚は、海に還る事である程度力を取り戻すからに決まっているでしょう?」
「元気そうなお前の要求は後回しにしたいのだが」
「いいから早くしてちょうだい!イーヴァも同意の上よ!後からこの場に現れておいて、あたし達の約束の邪魔をしないで!だいたい、あなたが首狩りした賞金首達の部下だったのよ、あれ!アルマなんてとんだ裏切り者だったし――まあ、それはいいわ。・・・あら?何、落ち込んでるの?」
既視感を覚えたのだ、彼等を前にした時。そして何より、彼等は自分の事を知っていた。こんな簡単な事実、気付かない方がおかしい。たぶん自分は気付きたくなかったのだ。この惨状に少なからず日々の行動が関わっていたなんて。
ガツッ、と小さな手に襟首を掴まれる。ここに来て初めてマリィの顔を直視した。そして気付いた事がある。
まさか海へ行くなんて何かの比喩か或いは冗談だと思っていたのだが、彼女は至って真面目。本気でそう言っているのだと。