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海の近く、磯の匂いが充満している。浴槽に溜まっている水は間違い無く海水だ。そして、その海水に浸かっているが故にマリィと呼ばれた人魚は美しい姿を保っている。
「・・・ギルバードさん。さすがに風呂場へ勝手に入って来るのはマナー違反では?」
「う、すまん・・・」
「彼女はマリィちゃんです。人魚だって自称しています」
「いやどう見たって人魚でしょ!コレ見て人魚じゃなかったら何なのよ!?」
『自称』、という言葉が気にくわなかったらしくマリィがキャンキャンと吠えた。驚く程迫力に欠ける。盛大に顔をしかめた人形は続いてこちらを指さし吐き捨てるように言った。
「イーヴァ、今すぐ奴を追い出しなさい。こいつ人間じゃない上、酷い血の臭いだわ!典型的な獣寄りの獣人よ。危険だわ」
「否定はしないし、長居をするつもりもない。数日くらい目を瞑ってくれ」
「嫌よ!言いつけも守れない駄犬なんて、同じ空間で同じ空気を吸いたくないわ!」
「人が下手に出ていれば言いたい放題だな、人魚風情が」
「何よ!やるって言うの!?水場であたしに勝てるとでも!?」
「水?たかだか数リットルの海水の事を言っているのか?良い度胸だ。それが思い上がりだと教えてやろう」
すいません、とうんざりしたようにイーヴァが口を挟んだ。感情が読み取れる程はっきりとその色を見せた彼女はしかし、その変化の兆しをすぐに潜めてこう言った。
「取り敢えずあなた達が暴れると家が崩壊しそうなので外でやってくれませんか」
「・・・いや、悪かった。ここには極力近付かないようにすると約束しよう」
「構いませんけれど、とにかくマリィちゃんの事は他言しないようにしてください。ただでさえ港町で人魚信仰も強いので。町中大騒ぎになってしまいますから」
「ああ、了解した」
マリィが盛大に溜息を吐き、くるりと背を向けた。家主の介入により一先ず怒りの矛先を収めたようだ。まあ、女湯には金輪際近付かない方が賢明だろう。それに、何度も言うようだが長居するつもりはない。触らぬ神に何とやらだ。
「――そういえば、あなたも人じゃないんですね。部屋のリクエストとかありますか?」
そう問い掛けた少女の視線は人魚の背中に注がれている。
成る程、風呂場を『部屋』と言い切った辺りリクエストとやらはちゃんと客に対して反映されているようだ。
「人間が使うような部屋で問題無い」
「そうですか。私の部屋が2階、階段の前なのでそれ以外の部屋でしたら好きに使ってください。ああ、ベッドとか無かったら別の部屋から持って来てもらっていいですよ」
「・・・寝具が無い部屋もあるのか?」
「売りに出したりしたので家具類の無い部屋もあります。よく選んでください」
もう一度マリィの『部屋』を眺める。風呂場としての内装は保っているが、確かに風呂場には無いような装飾品の類が飾られていたりと部屋らしいと言えば部屋らしいか。
今日泊まる部屋を決めなければならない。すでにマリィへの興味を失ったギルバードは日当たりの良い部屋を求めて風呂場を後にした。