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午後9時。
適当に街中を歩き回り時間を潰していたギルバードは時間きっかりに路地裏の1つのドアの前へ戻って来ていた。我ながらどうかしていると思うが、今はとにかく身体を休めたい。彼女の家族には悪いが数泊させてもらおう。
――と、不意にその裏口が開いた。エプロンを脱いだイーヴァがきょろきょろ辺りを見回しながら出て来る。
「・・・おい」
「!」
暗がりだったので自分の存在に気付かなかったのか、少女は少しだけ驚いたように足を止めるとこちらを見た。そして少しばかり訝しげな顔をする。
「ああ、目、良いんですね」
「・・・まあそうだな」
ドアから漏れる光の前に立つ。素早く裏口を閉めたイーヴァは先頭切って歩き出した。その手には懐中電灯を持っている。本来なら帰りは裏口から出ないのだろう。
「どの辺にあるんだ、それは」
街の中は確かに宿と呼べるものは無かった。それは、建物も同様である。とてもじゃないが街の中に彼女の言う『元民宿』があるとは思えない。
「少し奥まった所にあるんです。立地が悪かったせいで、今はもう潰れちゃったんですけど」
「奥まった場所・・・?」
果たして、数十分後にギルバードは言葉の意味を理解する事になる。
切り立った崖の上、人里離れた場所に立つそれは民宿と言うより別荘なのではないだろうか。明らかに攻撃的な波の音が崖の断崖絶壁感を煽る。
成る程、これならこんな場所に民宿があるとは思えないし潰れるのも自明の理。そもそも何故ここで民宿をやろうと思ったのか。
「その、アンティークな物件だな」
「無理矢理誉めなくていいですよ。修理費なんて無いんで、メンテナンスもしていないんです。床が抜けるかもしれないのでそれだけは注意してください」
廃墟と言われてもそうなのか、と納得してしまう大きな元民宿。まあ、いっそ屋根と寝る場所さえあれば何でもいい。そう自分に言い聞かせ、手慣れた様子で鍵を開けて中へ入って行くイーヴァの背を追う。
中に入ってみれば埃っぽくは無いが、人の気配はしなかった。まさかこんな大きな家に一人暮らしなんて事も無いだろうし、彼女の家族には世話になる旨を伝えなければならず、変なところで常識的なギルバードは深く考えず問い掛けた。
「ところで、ご両親はどうした?世話になると一応断りを入れておきたい」
「何それ結婚前の挨拶みたいに聞こえますね。でも、この家に住んでいるのは私だけです」
「・・・独り暮らしなのか?」
「ええ、まあ。もう親は亡くなってしまいましたので」
「す、すまん。変な事を聞いた」
「いいえ」
少し待っていてください、と相変わらず淡々と告げたイーヴァはギルバードを玄関で1人待たせ、どこかへ走って行った。人がいないというのは本当で、彼女の小さな足音だけが広い家に反響している。