第2話

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 閑散とした図書室には現在、ギルバード1人しかいなかった。機関にいるほとんどの人間が目まぐるしく働いているし、こうやって休息を取らなければならない班はそのほとんどが本など読まない者ばかりである。
 広々と6人掛けの机を使っていたギルバードはその目を揉んだ。暇を言い渡されてからずっとここにいるが目当ての情報は見つからない。
 ――自分によく知るそっくりさんについて。
 そんな曖昧な言い方では当然、本検索にも引っ掛からず手動で探す羽目に陥っている。本来ならば身体を休めるべきなのだろうが、身体を休める代わりに気持ちが休まらないのでは元も子もないだろう。
 椅子に背を預け、ぐぐっと伸びをする。椅子が軋んだ音を立てたが、軋んでいるのはこちらの心である。集中も出来ないし、一度外に出てコーヒーでも飲むか――
 唐突な思いつきで立ち上がった。
 同時、カラン、という軽い音に足を止める。

「危うく踏み潰す所だ・・・」

 ハァ、溜息を吐く。落ちたのは無造作にポケットに突っ込んでいた預かり物である。と言っても、もうそれを返す相手はいないのだが。
 陰鬱な気分でそれを拾い上げた。
 少しばかり太いチェーン。その先には丸い形のアクセントが付いている。
 俗に言うロケットペンダント。それの中身はない。元の持ち主が何も入れなかったし、入れる予定だった写真はまだ撮っていない。それの代わりは無いし、他の誰かの写真を入れるなど言語道断。よって、ペンダントの中身は空のままなのだろう。ずっと。
 何とはなしにチェーンの部分を持ってそれを顔の高さまで持ち上げる。
 ぐにゃり、と視界が歪んだような気さえした。
 思い出す、思い出す、思い出す。
 昨日の事のように、鮮明に。

 ***

 30年ほど前の話だ。と言っても、この頃は代理戦争のせいで心が荒んでおり、あまり正確に何があったとか何が楽しかったとか、趣味だとか、或いはどんな生活を送っていただとかははっきりと覚えていない。いや、戦争をしていた事は覚えているのだ。ただ、それ以外については些細な事で全然記憶に無いのだけれど。

 ようやっと戦争を終え、その時だけ手を組んでいた連中とも別れたギルバードは特に行く宛もなく、気付けば磯の匂い香る港町に流れ着いていた。人で賑わってはいたが、自分のぼろぼろの格好のせいか遠巻きにされている。
 ――腹が減っている。
 それを論理的に頭の中で反芻した結果、まずは金をどこからか調達するのが先決だった。さすがに平和そのものの街で強盗を働く気は無い。良識は弁えているつもりである。
 ――視線が鬱陶しいな。
 鈍い思考回路で次に思った事はそれに尽きた。獣人と言うだけあって感覚が敏感だからか、視線が本当の意味で突き刺さるように感じて思考が上手くまとまらない。何よりジロジロと見られるのは好ましくなかった。
 以上、色々加味した結果、吸い込まれるように路地裏へと入っていった。人目に付かず、且つゆっくり休める場所。少々小汚いのが玉に瑕なのだが、自分の格好を鑑みるに、真に小汚いのは自分である。
 それは結果的に言うと失敗だった。
 表に出ている店。その裏には当然厨房があり、換気された空気は路地裏へ流れて行く。盛大に腹が鳴る音が聞こえてくるようだ。
 何やら炒め物の臭い、パンを焼く臭い、デザートでも作っているような甘い臭い――
 減っている腹に染みる臭いがあちこちから漂って来る。知らず、眉間に皺が寄っていくのを感じた。獣人が持つ、人間の部分と獣の部分については熟知していると自負している。それは純粋な獣人なら誰もがぶつかる壁であり、生活によっては一番の障害になるうるものでもあるからだ。
 目の前にあった銀色のノブに手を伸ばす。飲食店の裏戸である事は明白だ。喉がゴクリと鳴る。
 そう――我々獣人は、三大欲求に対する自制心が、薄い。