1話 人間と魔族

04.被った皮の下にあるもの


 視界が一瞬だけブラックアウトする。変身中の攻撃は御法度、何故かセシリアのそんな言葉が脳裏を過ぎった。
 次に視界が開けた時、そこに居たのは夜中の店前でたむろしているような青年ではなく、明らかに人外である謎の生物だ。
 4本足の黒い体躯。無理して形容するならケンタウロスのように、一応は人型をした胴体が乗っかっている。金属光沢を放つ体躯からはしなやかな柔らかい金属物質が大量に生えているのが見て取れた。サイズはかなり大きい。あの4本ある足のどれかによって下敷きにされれば、内臓破裂どころの騒ぎではなくなってしまうだろう。

「――さあ、ここから5分だ。セシリア、防御に徹するぞ」
「ええ、了解です!」

 時間制限というものがある自覚はあるようで、ベリルの態度は性急だった。柔らかい鋼の尾のようなものが自在に伸縮し、イグナーツを串刺しにしようと勢いよく迫ってくる。
 剣を振るって、まずは鋼の尾を跳ね上げた。続いて横っ跳びに転がり、飛来した小さなナイフ程の輝く針を回避。あれは恐らく、全身から幾らでも射出出来る物質で、元を絶つ事も出来ないので延々と回避を続ける必要がある。

 しかし、今回は2人1組。
 ターゲットにされていないセシリアが援護に入った。先程の横槍と同様、拾った拳程の石をベリルへ投擲する。完璧なコントロールで石が本体にガツンと当り、そして石のみが砕け散った。
 彼女の腕力にも空恐ろしいものを感じるが、源身に戻った魔族の頑強さにも怖気を覚える。

「助かった、セシリア!」
「いえ! ……やはりジリ貧ですね、これ。動きが鈍いのだけが幸いです」

 金属がぶつかり合うような音を発したベリルに注視する。あれはこちらへ文句を垂れていたのではなく、立派に魔法の詠唱をしていたのだと悟ったのはそのすぐ後だ。
 やはり見た目と同じく、鉱石を元にした魔法を組上げるのが得意らしい。
 ギロチンよろしく、取っ手のない斧の金属部分だけが虚空に出現。3つあるそれが、イグナーツの頭上へと降り注いだ。

 ただ、やはりベリル自身のサイズ感が規格外なだけはある。狙いが非常に大味だ。斧の刃と刃の間に身体を滑り込ませ、広範囲魔法をやり過ごす。

「イグナーツ、3分が経ちました!」
「ああ、分かった」

 そのやり取りが聞こえていたのだろうか。不意にベリルがその動きを止めた。
 瞬きの刹那には、先程の青年の姿に戻る。

「あんだよ、やっぱり今日も無理なのかよ……。あーあ、熱くなっちまったぜ。帰ろ」
「ちょ、貴方、部下は――」

 何故かセシリアがそう声を掛けるも、ベリルは一瞬でその場から居なくなってしまった。お得意の謎移動法で間違いないが、時間を聞いて帰り楽をする為に撤退して行ったのだろう。やはり今回の襲撃も冷やかしだったか。
 ベリルが急遽撤退してしまった為、残された魔族が呆然と立ち尽くしている。意思の疎通もままならない、魔物と形容される獣のような存在達。
 残党処理をする気分でも無いが、置いておく事も出来ない。溜息を一つ吐いたイグナーツは剣を構えた。

 境界付近でいざこざを起こすつもりは無い。速やかに処理して拠点に戻ろう。

 ***

「イグナーツ。すいませんが、服が砂埃まみれになってしまったので着替えて来ようと思います」

 一仕事を終え、拠点に戻るなりセシリアは着替えたいと申し出て来た。イグナーツ自身はあまり気にも留めていなかったが、成る程確かに服がざらざらと埃っぽい。何度も地面を転がったり、激しい動きをしたのだから当然だ。
 既に踵を返しかけているセシリアに肯定の返事をする。

「ああ。セシリア、今日はもう遅い。着替えも良いが、そのまま上がって構わないぞ」

 歩を進めていた彼女の足取りがぴたりと止まった。くるりと再びこちらへ振り返る。

「貴方はどうするのですか? いつ頃、上がられるのでしょうか」
「私は、そうだな……。仕事が片付けば上がるだろう」
「はぁ……。私には終わる気がしない、書類の山が積まれているように見えますよ。いつになったら仕事というのは終わるのですか」

 呆れた風にそう言ったセシリアが部屋と廊下の敷居を跨ぐ。

「着替えたら戻ります。貴方ばかりを働かせる訳にはいきませんからね」

 靴音を鳴らしながら出て行ったセシリアの背をぼんやりを見送る。長く机に座っていたからか、頭がぼんやりしているようだ。
 くしゃり、と頭を掻いて自身のデスクと向かい合う。さて、成り行きでセシリアを手伝わせる事になってしまったが、日が昇るまでにこの仕事は片付くのだろうか。