1話 人間と魔族

03.境界線越えの常連


「あー、うちの兵士が」

 酷く棒読み。気怠そうな声でやっと本命が現れた事を悟る。人語を理解しているのかも怪しい魔物の群れは半分以下にまで減っており、それを掻き分けるようにして高位魔族・ベリルが現れた。
 見た目は青年。眉間に皺を寄せてはいるが、僅かに口角が上がっている。鈍いブロンドの髪に、高そうなファーコートを着用。どことなく高圧的な態度がトレードマークだ。
 外見だけは人間と見分けが付かないが、魔族の特徴は視覚情報で最も人間に近い姿をしている者が強い。目の前の彼も例外では無かった。

 ここは境界線の外側。ベリルが全力で戦闘を仕掛けられる時間は5分が限界。境界の内側に戻るよう言葉による交渉を試みるが、失敗した場合は5分耐えきれば引き分けに持ち込めるはずだ。

「ベリル、またお前か。大人しく魔界区域に戻ってくれ」
「別に俺がどこに居ようと俺の勝手だろ。つか、何の権限を持って俺様の行動を制限しようとてんだよ、何様かっつの。むしろテメェ等が端っこのあの土地に住めよ。狭いんだよ、マジで」
「それはできない。お前達と違って、我々は人数が多い。そもそも、お前に合わせて一般人の生活を無理矢理変更する訳にはいかない」

 一を言えば十を捲し立てて来る。早くも会話する事に嫌気が差してきた。
 そしてそれは、黙って事の成り行きを見守っていたセシリアも同じだったらしい。ナックルダスターを装着した手をパキポキと鳴らしている。やる気満々のようだ。
 彼女の様子を目聡くベリルが指摘する。

「ハッ! 最初っから話し合う気はねぇって事かよ。弱者の貧相な考え方だぜ、人間風情が調子に乗りやがって。今ここでぶっ潰してやんよ!」
「来ますよ! さあ、ここを守り切れば夜ご飯の時間です!」

 ――もっと緊張感を持ってくれ……。
 危なっかしい思考回路に思わずそう呟きかけたが、モチベーションを下げる訳にもいかないと思い直し、口を噤む。あの明るさが彼女の持ち味なのだ。

 拳を握り締めたセシリアが弾丸のような速度でベリルへと突進する。それを見た魔族は鋭く舌打ちした。

「チッ、猪女が……。ちっとは考えて動けよ」

 雲のようにパッと消えたベリルが突進して行ったセシリアの背後に現れる。こう、何度も戦闘をしていれば互いに癖が見えて来ると言うもので。
 それを事前に予測していたイグナーツは現れたベリルに向かって剣を振り下ろした。輝く刃が魔族を強襲するも、あっさりと回避される。彼の右手には紡ぎかけの魔法が見えた。
 自分はともかく、セシリアの神器は魔法防御が薄い。物理攻撃にはべらぼうに強いのだが、その代償なのか何なのか、魔法に関しては通常の人間程度の耐久力しかないのだ。

「セシリア、魔法を撃たれるぞ!」
「見えています、了解ですっ!」

 一足飛びに飛んだセシリアはやはり常軌を逸した速度でベリルとの距離を詰める。攻撃を繰り出して、魔法の作成を妨害しようという魂胆だろう。
 瞬間、ベリルが嘲笑する。

「ははっ! これだから単細胞は!」

 作りかけ――に見えた魔法が急に作動する。小さな氷の矢へと姿を変えたそれはバラバラにセシリアへ飛来した。直撃こそ避けたが、回避して地面に刺さった氷の矢は地面を凍り付かせる。
 足場が悪い。隙を窺っていたイグナーツは仲間をフォローする為、中距離の戦闘を近距離へと切り替えた。
 セシリアの立ち位置と被ってしまうので間合いを調整していたが、そんなフォーメーションの話を出来る状態では無くなっている。

「伏せろ、セシリア!」
「あ、はい!」

 素直に身を屈めた彼女の頭上を剣閃がが通り過ぎる。いつの間にか長剣を手にしていたベリルが、セシリアに向けていた足を止めた。持っている長剣でイグナーツが放った攻撃を斬り捨てる。

「くそ……。んだよ、ぞろぞろ2人で来やがって……」

 相当苛立っているらしい。苛々がダイレクトに伝わってくるかのようだ。

「怒っていますね。そろそろ悪魔のような姿に戻るかと……」
「ああ、そうだな。結局は危ない橋を渡る事になるらしい」

 投げやりにそう言い、身構える。
 苛々苛々、舌打ちしたベリルが取り出したばかりの長剣をざっくりと地面に刺した。握り締めた左拳を胸の前、人間であれば心臓がある辺りに持っていき、何事か呟く。

「黙って見ているのも癪ですね」

 ふわり、と魔力が満ちた温い風が頬を撫でた。それを受けて、セシリアが意図を計りかねる言葉を不意に溢す。
 どうするつもりなのか、聞く前に答えが提示された。
 その辺に落ちていたこぶし大の石を拾った彼女は左手にそれを構え、完璧なフォームでその石をベリルへと投げつける。
 人間の肩から放たれたとは到底思えない速度を伴った石はしかし、ベリルに到達する前に見えない壁のようなものに弾かれて呆気なく地面に落ちて行った。

「くっ……! やはり変身中の攻撃は御法度という事ですね……!!」
「報告によれば、無敵時間なるものがあるそうだぞ。とはいえ、それを報告し検証したのはギーゼラだが」