1話 夢の世界のご都合主義

05.耳の良いお兄さん


 裏山、と試験官がそう言っていた場所は思っていた以上に荒れ放題だった。手の加えられていない山というのは大変不気味で、人間を寄せ付けない空気を放っている。どこからこの山へ入ればいいのか、野生を忘れた人間には皆目見当も付かないのだ。

 ――それにしても、スライムってリアルだとどんなもんなんだろ? 視点が一人称だからなあ。やっぱり最近増えて来たVRとかみたいに見えるわけ?
 取り留めの無い至高に囚われる。ここからが自身の想像力の見せ所だ。実在しない生物――否、魔物であるスライムをどれ程までリアルに想像出来るか。眠れる想像力と記憶力を呼び起こすしかない。

「何だか楽しそうだな、キリエ」

 困惑気味にそう声を掛けてきたのはレオンだ。見れば、声色の通り困惑の表情を浮かべているのが見て取れる。

「いやさ、スライムなんてリアルで見た事無いからどんなものなのかなあ、って」
「生きたゼリーみたいな感じだぜ」

 ざくざくと山を進みながらあっさりそう言った彼は、出会った当時の頃を思い出したのか眉間に皺を寄せている。
 スライムか、とくぐもった音を漏らすイルゼに今度は視線が集まった。

「私はまだ見た事無いわね。話には聞いているけれど。で? あなたはどうなの、ホルスト」
「俺? 俺は見た事あるよ。婆さんがスライムでジャム作るのが趣味だったからな」
「ちょっと! まさか老人虐待!? スライムなんて食べたら、脳味噌が破壊されて脳そのものがゼリーになるわよ! おばあさんにお元気にして、ジャムは果物とかで作るように言っておきなさい!」
「おーおー、何度か言ったんだけどな。聞く耳持たなくてよぉ。ま、次に会う機会があったら伝えとくわ」

 見てる組が半分。まあ、どうせクソ雑魚魔物でRPG最序盤の経験値稼ぎに倒されまくる存在だ。大した事は無いだろう。そんなに恐ろしいものでも無さそうだ。
 ガサガサと長い枝で地面を叩きながら進んでいるレオンに視線を戻す。彼はとても真剣な表情で、数分前に拾った枝をぺしーんぺしーんと打ち鳴らしている。何が彼をそんなに警戒させると言うのか。
 いや待て、これだけ深い山の中だ。マムシとか居たら一溜まりも無い。正直、よく分からんスライムなぞより噛まれたら一発死亡の可能性を孕むマムシの方が何万倍も恐い。

「私も枝を拾ってきて、足下に注意しようかな」
「それがいいぞ、キリエ! スライムなんて踏んづけたら、足が壊死するからな!」
「え? スライムの警戒? 私のイメージではスライムってクッソ雑魚――」

「止まれ!」

 荒々しい声。驚いて言葉通り行動を止める。声を発したのはホルストだった。
 皆が動きを止めたのを見て、一瞬だけ険しい顔をした彼はへらりと笑みを浮かべ直す。

「目標のお出ましだぜ、サクッと倒してとっとと帰ろうや」

 ――は? いやどこに? どこにスライムが??
 あまりにもホルストが自信満々にそう言ったので、聞き返す事は出来なかった。が、すぐに異変に気付く。
 それまで何の変哲も無いと思われていた地面が、急に盛り上がったのだ。それはあっと言う間に桐絵程度ならばまるっと呑込めるサイズへと変貌する。

 地面の色でさえそのまま通してしまう、透明なボディ。つるん、としたデザインはまさにゼリーそのものだ。よく見るとボディの中に黒いタピオカのような粒が浮いている。まさかとは思うが目だろうか。
 あまりにも生物感からも可愛さからも掛け離れたそれを呆然と見つめる。え? これ本当にキュートが売りのスライム? スライムさん、とお呼びしなければならないかもしれない。

 桐絵が呆然と立ち尽くしていると、しっかり冷め切った現代っ子の代わりにレオンがリアクションを取ってくれた。

「うおっ、でけー!! ここまで成長したスライムは流石の俺でも初めて見たぞ! よくここにスライムが潜んでるって分かったな、ホルスト」
「まあ、お兄さんに掛かればこんなもんよ。俺は耳が良いからな」
「マジ猟犬!」
「犬って言うな」

 ちょっと、とイルゼが声を荒げる。

「喋ってないで、早急に片付けるわよ! コイツ、危ないんだからね! あなた達も気を付けなさいよ!!」
「うぃーっす、了解でーす」
「魔法で詰める必要があるわ。どうせ、あなた達って魔法なんて高等技術は得意じゃないんでしょ? 私がサクッと仕留めてあげる。キリエ、ぼさっとしていないでやるわよ」
「え? 私って魔法使えるの?」
「なんで私が知ってると思うのよ!?」
「ごめんちょっと脳内作戦ターイム!!」

 は!? と、鋭い声を上げるイルゼを置き去りに素早く思考を巡らせる。
 普通に考えて純現実産の四辻桐絵が魔法などという非科学的なものが使えるはずもない。しかし、ここはドリームワールド。使えるんじゃないの、魔法。というか、使えるはずだ。自分の力を信じる事が大事。この場合は想像力の話だが。
 思い出せ、さっき読んだばかりの氷付け漫画を。あんな感じにやればいいんだ、多分。最悪何も出なくても一発芸でしたで笑いを取れば、目が覚めた時には笑いの種に出来る。完璧、あまりにも完璧だ。