4.





 そっとアーサーから距離を取る。彼は前を見て歩いているので、真後ろを歩いているノエルの動向を探る術は無い。ならば、着いて来ていると見せかけて、距離を取り、ある程度したら反対方向へ猛ダッシュすればいい。
 ――ただ、この絵だけがネックなのだが。これがあるから、素早く動けない。しかしこれを手放してしまえば逃げ出す意味とか意義とかを失ってしまいそうだ。
 ぴたり、と足踏みだけをして進むのを止める。そうすれば、振り向かない貴族は着いて来ていない事に気付かないはずだ。

「――どこへ行くつもりだ」
「えっ!?」

 ――バレた!早っ!もっと頑張れよ私!!
 ぎぎぎ、と油の足りない機械のような動きでアーサーが振り返る。笑っているが、笑っていない顔。血の気が引く音を聞いた。
 つかつかと靴音を立てて、戻って来る。

「どこへ行くつもりなんですか?まさか、自分だけ逃げようなんてそんな馬鹿な事考えてるんじゃないでしょうね?」
「いや・・・うん。ちょっと靴の中に小石が入っちゃっただけ!ホントだヨ!!」
「嘘くせぇんだよ!やるならもっと上手く嘘吐け馬鹿女!」
「うわぁああああ!ごめんなさい!ごめんなさいぃぃぃ!!」

 がつっ、と頬を掴まれて信じられない握力で締め上げられる。頬骨とかいう骨がギシギシと軋んだ音を立てた。

「で?どこに行こうとしてたんだよ俺を置いてよぉぉ・・・」

 言いたくない。言いたくないが――このままの状況で騒ぐのはよくない。それに、目の前の似非紳士は気付いていないのだろうか。気付いていないんだろうな、頭に血が上ってるみたいだし。

「うっうっ・・・レインくんの所に行こうとしてたんだよ・・・」
「はぁ?何であの馬鹿の所へ?」
「ここより安全そうだからね・・・」
「あぁっ!?」

 何故かレインの名前を出した事で余計不機嫌になるアーサー。ここまで不機嫌になると、もう手の施しようが無い。後は時間という偉大な自然現象に任せるしかないのだ。

「あのさぁ・・・私達が受けたクエストって、絵の護衛だよね?」
「最初からそう言ってんだろーがよッ!我々の受けた依頼は、絵を守る事だってな!!」
「それ、絵だけ守るって事じゃ・・・」
「何か言ったか?」
「・・・いいえ・・・」

 痛む頬を押さえ、どうすべきか非常に悩む。このままアーサーに着いて行っていいものか。無理をしてでもレインのもとへ逃げ込むべきか。しかし、逃げ切れる自信は無い。
 ――唯一望みのあった不意打ちも、こうして封じられてしまったわけだし。
 悩みに悩むノエルの顔を覗き込み、アーサーは邪悪な笑みを浮かべた。どうやら、自分のせいで彼女が悩んでいる姿が可笑しくて堪らないらしい。

「ちくしょー!謀反失敗したぁぁぁ!」
「何をいまさ――らっ!?」

 向かい合って立っていたアーサーがぎょっとしたように目を見開いたかと思えば、その瞬間には横っ飛びに跳んでいた。一瞬遅れて、さっきまで彼が立っていた所に何かが飛び込む。

「――矢!?ど、どこからっ!」

 1本の矢。明らかに、アーサーを狙って放たれた矢だ。というか、彼だったから避けられたけれど、狙われていたのがノエルだったら大惨事である。

「落ち着きなさい、ノエル」
「いや、落ち着けないでしょ!もっと焦ろうよ!!」
「よくその矢を見てみないさい」

 首を傾げつつも飛来物を見やる。
 ――何だかとても見覚えのある意匠の矢だった。

「って!イアンちゃん!?何かあったんじゃ――」
「何もありませんよぅ」

 真後ろから声。振り返る。
 ――やはり何を考えているのか分からない、ギルドきっての戦闘狂、イアンの無表情がぼぅっと闇の中に浮かび上がっていた。
 その手には、ステンレス製の弓が握られている。