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レインによって無事、アーサーの元まで送り届けられたノエルは大きく伸びをした。素人目で見た限り、異常という異常は見当たらない。つまりは、退屈だった。
「その、何とかって人が描いた絵、ってどんな絵なの?」
ずっと黙っているアーサーに話し掛けてみる。顔を上げた彼は面倒臭そうな顔をしていたが、首を振った。
「知らん。あと、《トレイシー》です。何なんだ、何とかって。ファンになぶり殺しにされるぞ、ノエル」
「布が邪魔だな。剥いでいい?」
「だからよぉ・・・護衛クエスト、つってんだろうがぁぁぁ・・・!盗みと勘違いされたらどうしてくれんだよ・・・」
本当に自称紳士の沸点は低い。すでに苛々と低音ボイスを撒き散らしている。ストレスが溜まっているのだろうか。一度、病院へ連れて行った方がいいのかもしれない。
――ストレス云々で言うのならば、レインの方が危ういが。
「夜の美術館って静かだし、寒いよね」
「いきなりどうしました。あぁ・・・そういえばお前は一昨日、依頼人から怪談話を聴かされていましたね。クックック・・・」
「いや、全然怖くないよ?だた、さぁ・・・不気味だな、ってだけで」
「そっちの方向へ話を持って行くのは止めてくれませんか。仕事に支障を来します」
「え?アーサーが?」
「・・・あぁ?」
また怒る、とケタケタ笑えば彼の形相は一層険しく――
ノエルの視界に、鈍色が反射した。ひゅんっ、という風切り音。
「え・・・?え!?ちょ、そんなに怒る事ないじゃん!ちょっとしたお茶目――」
「黙れ」
いつの間にか抜き放たれた剣が、向けられる。唐突な展開に頭が付いていかない。今まで、幾度となくこの似非紳士を怒らせてきたが、得物を向けられた事は一度たりとも無かった。
エメラルドの瞳が獰猛に輝く。引き結ばれた憎たらしいぐらいに形の良い唇が短く息を吐く――
「ひっ・・・!?」
軽やかに、足音一つ立てずにアーサーが一歩踏み出す。まるで舞踏のように、滑らか且つ素早く。一歩足を踏み出したのを知覚しただけで、その後の動きにノエルの動体視力ではついて行けなかった。
ただ、恐らくはアーサーが自分の横をあっさり通り抜けた事だけ。
「お、お前、何のつもり――」
誰のものか分からない、強いて言うのならそんな男の声が聞こえたと同時、鋭い刃が風を切るような音を聞いた。
続いて、どさりと重い物が落ちたような、ある種の生々しさを孕んだ音。
――ゆっくりと、ノエルは振り返った。
「何を慌てているのですか、ノエル」
にやにやと嗤うアーサー。手には血染めの剣を持っている。
そして、そんな貴族様の足下に倒れ伏した――名前も知らないし、顔なんて見た事も無い男。
「お・・・脅かさないでよ・・・!」
「そんなつもりはありませんでしたよ。何を勝手に驚いているのですか」
性根の腐ったような笑みを浮かべる自称紳士。その横っ面を思い切り叩いてやりたかったが、吐き出した息は震えていた。だから、戦闘クエストは嫌いなのだ。
――というより、もし、あのままアーサーの所へたどり着けずさ迷っていれば、今頃この倒れ伏した男の餌食になっていたかもしれない。咄嗟に張った結界の強度なんてたかがしれている。
「強盗、だよね?」
「でしょうね。しかし、あまりにも、呆気なさ過ぎる」
血払いをすませた剣を鞘へ収め、不満そうに倒れた男を見下ろすアーサー。
その横顔にノエルは一抹の不安を抱かずにはいられなかった。