5
足が止まる。止まっちゃいけないとか、逃げなければとか、瞬間的な判断が鈍る。
瞬間、足に人形の手が腕が絡みついた。上げかけた悲鳴を呑み込む。それは微かに残った自尊心や矜持の類だったのかもしれない。けれどその反応はむしろ失敗だった。先に行ったレティシアに危険を伝える事も助けを求めるチャンスも棒に振ったからだ。
「離せ・・・っ!」
足を思い切り振り上げて、その腕を振り払う。ミチミチッ、という何か形容し難い音が鼓膜を叩いた。
ごろり、とほぼ抵抗なく人形が転がって行く。足首の不快感は取れない――
「・・・っう!?」
掴まれた足を見てみると人形の腕の肘から先が付いたままだった。どろりと流れ出るのは血と、あとは腐った――
両手で口を覆う。それが何なのか理解した途端、余計に腐臭が増した気がしたし、胃の中のものを吐き出してしまいそうだった。ともあれ、吐き気を堪えながら足にしがみついたままの腕を引き剥がそうと腰を折る。
――と、その動きもまた止まった。
屈んだ瞬間、腰の辺りから2本の腐敗した人間の腕が伸びて来たのだ。
「1体じゃないのか!?」
振り返って応戦しようとしたところで再び反対の足に衝撃。ぎょっとして足を振り払おうとしたが、頭の冴えるような鋭い痛みにその足を止める。
さすがに無視出来なくなって足下を見た。
――ワイヤー。人形を釣る為の細くて強靱なそれが足首に巻き付き、着ていた服をあっさり切り裂いていた。視界が悪いのでそのワイヤーが足のどの辺りにまで食い込んでいるのか判断が付かない。
もう人と話すのが苦手だとか、大声を出すのが不得手だとか言っている場合ではない。
「・・・っおい!レティシア!どこだ!?」
絞り出した声は館内に響く程のものだっただろうか。静かだったから、或いは。
背後から迫っていた人形の1体を振り払い、もう一度呼び掛けてみようと口を開く。開いて、そしてそのまま閉口した。
「なに?」
返事が聞こえたからだ。
――すぐ、背後から。
いたなら返事をしろ、状況が見えないのか、といういつもの憎まれ口すら叩けず少しの安堵から振り返る。
そこに相棒の姿は無かった。
代わり、腐敗した死体――もうこれを人形だと呼ぶのには無理があるだろう――があるのみだ。
さっと血の気が引く音がいやにはっきりと聞こえた。
ああそう言えば、少女の声だったから勝手にレティシアだと思い込んでいたが、彼女はこんな声だっただろうか。最初から違う人物だったのではないだろうか。