3話 苦労人達の心労

02.苦労人達の懸念


 ***

 クロエとマリアが書状を作成し始めたのを見て、バルトルトは教会を後にした。自他共に認める脳筋男だという自覚はあるので、書状の作成などというクソ面倒なイベントに参加するつもりは毛頭無い。そんなものは繊細な作業が得意なマリアの方が何倍も上手くやってくれる事だろう。
 ハルリオに対して全く関心の無い片桐も同じく、教会から出て来る。奴も書状作りなどは得意そうだが手伝う気は無いようだ。

 何となく進行方向が被ったのを良い事に、教会へ集められ用事を聞いてからこっち、ずっと気になっていた事を片桐に尋ねる。

「何で今更、会談のアレ承諾したんだよ。正直、お前が一番反対すると思ってたぜ」

 あのにこやかさが嘘のように表情の無い能面のような顔をちら、とこちらへ向けた片桐は淡々と問いに応じた。本当に興味関心が無い事がひしひしと伝わってくるかのようだ。

「良い機会だと思いました」
「そうかね? ぶっちゃけ、リーンベルグと同盟組むのなんて無理だろ。あの調子じゃ」
「それならばそれで、構いませんよ。邪魔な街を消す理由にもなる」
「……ほら、そっちが本命じゃんよ……」

 クロエに諦めさせる気でいるらしい。彼女も彼女で妙に頑固なところがある。
 そもそも、あまりにも出来過ぎた人格はいっそ歪だ。事の善悪に則り、全てを公平な天秤で量る事の出来る王位。その天秤は恐ろしく正確で、街の事情やその他諸々を加味した上で最も正しい答えを導き出す。
 ただし、それは『個人』に対して正しい答えではない。民衆、万人が客観的に見て最も相応しい結論を弾き出しているだけだ。個人主義のハルリオとは恐らく一生反りは合わない。

 彼女の紡ぐ言葉はさぞや耳ざわりが良いだろう。何せ非の打ち所が無い決定的な正論だ。そこに個性や個人は必要ない。ハルリオの人格などどうでもよく、街を納める王位という地位と話をしているのだ。クロエは恐らく引き下がりはしない。

 ――だけどそれは、他の誰でも無い片桐その人が一番よく理解しているはずだ。

 溜息を言葉に混ぜつつ、無駄だとは思いつつもバルトルトは言葉を重ねた。リーンベルグも大概だが、カタフィにもまともな人間は少ないらしい。

「さっき王命つってただろうが」
「王命で士位の行動を縛る事は出来ません。最終的にどう動くのかは、結局本人の意思次第ですよ。そうでしょう?」

 ――俺の仕事が来るのかな、これは。
 片桐の言葉の意を汲んだバルトルトはせめてもの意趣返し、抗議の意を込めて盛大な溜息を吐いてみせた。見事にスルーされてしまう訳だが。

 ***

 ――こんなものでいいだろう。
 出来上がった書状のチェック、誤字脱字が無い事を確認したマリアは深く頷いた。時間が掛かるかと思われたが、意外にもクロエの字は非常に綺麗で、そして文法も整っている。今日中には返信できない恐れもあったので、大変助かる事だ。

 そんな王位は今、昼休憩の為に奥の部屋へと帰している。働きづめは良くない。王位の体調は街の存続に直結してしまう。

 書状を丁寧に封筒へしまい、取り留めの無い事を脳内で反芻する。
 ――片桐……。何故急に、リーンベルグとの会談を赦したのだろう。

 全くの大誤算。片桐を理由に、会談を見送るつもりだったのに最も反対の意を示していた同僚からの、唐突な裏切り行為。示し合わせて答えを統一していた訳では勿論無いが、あれだけ散々反対しておいてどういうつもりなのだろうか。
 それに、信用の出来ない王命に従うという発言。欠片もそんな事を思っていないのがひしひしと伝わってきて目眩すら覚えたほどだ。

「……まさか、カタフィからリーンベルグに乗り換えるつもりでは……」

 不意に口を突いて出た言葉が真実味を帯びている事にゾッとして息を呑む。
 クロエに会談へ応じればいいのでは、と言ったのもリーンベルグへの手土産にて誘導しているようにも感じる。

 それに。

 今回の件とは直接関係ないが、何度も何度も繰り返し視る夢がある。最初は不安になって揺らぐ心が視せる、ただの夢だと思っていた。

 街の外、片桐が立っている。血塗れのカタナを持ち、その足下には血溜まりの中に倒れ伏す王位の姿。利き手とは逆の手に持った、鈍色に輝く鍵。後ろ姿なので表情はいつだって分からないまま。

 今まで一度だって視た事の無い光景を何故、繰り返し夢に見るのだろうか。虫の知らせのような、正夢のような強い力を持った、何か恐ろしい事が起こる前触れなのではないだろうか。
 それに、クロエがこっそり自分に相談してくれた予知能力の話。彼女とよく接しているので、その良く分からない特殊的な能力が視せている、遠い未来の事実である可能背も捨てられない。

 ――盛大に溜息を吐いたマリアは、ゆっくりと椅子に腰掛けた。弱気になってはいけない。どういう場合でも、自分がしっかりしなければ。