3話 苦労人達の心労

03.部分一致


 ***

 昼休憩を終え、外へ出る支度を始める。1日は24時間、それはどうあっても変えられないのだからのんびりしているのは時間の無駄だ。
 身嗜みを整える為、鏡の前に立ったクロエはふとその手を止めた。

「――……え?」

 室内だったはずの風景が、急に変化する。春の湿った温い風が頬を撫でた。
 ――屋外。街の外だ。

「どういうおつもりですか」

 静かだが、蕩々としていて複雑な感情を孕んだ聞き覚えのある声に顔を上げる。いつの間にか片桐が目の前に立っていた。
 苛立った顔立ちに、手にはカタナという得物。珍しく胡散臭い笑みは形を潜めていた。

 全く意味不明な問い掛けに固まっていると、目の前の彼はそれを黙秘と受け取ったらしい。更に問い詰める勢いで言葉を紡ぐ。実に彼らしくない、早急な態度に息を呑んだ。

「本当にやるおつもりですか!?」
「私はその為にここに居る」

 意味不明な問答にしかし、クロエ自身は反抗する事さえ適わずそう答える。そこでやっと気付いた。自分の目線で物を見てはいるが、この光景は今ここに居る自分ではなく『クロエ』が見ている光景なのだと。
 ただ冷静に考察している場合では無かった。迫り来る勢いで、片桐が更に一歩こちらへ近付く。身の危険を感じる苛立ちさえ滲ませて。

「カタフィを捨てると、そう仰るのですね……」

 脱力したような声音とは裏腹に、片桐は、手に持っていたカタナを握る手にぐっと力を込めた――

 ハッと我に返る。
 そこはいつもと何ら変わらない自室だ。鏡にはあまり顔色の良くない自分自身の顔が写し出されている。

「……今のは……」

 酷く不吉なものを見た気がする。
 何せ、予知に関してはリーンベルグのハルリオでそれなりの精度があると実証済みだ。もし、今見た光景があの時のものと同じであると言うのならば。実現の可能性が少なからずあるという事になる。

 ――マリアに相談してみよう。
 なんだかんだ、片桐の事を最もよく知る人物はマリアに他ならない。彼女が、「片桐はそこまでする人間ではない」と言いさえしてくれればこの不安は晴れるはずだ。

 身支度もそこそこに、クロエは自室を飛び出した。まだマリアが教会の中にいてくれると良いけれど。

 ***

 大急ぎで教会へ戻ると、マリアが悩ましげな顔で椅子に腰掛けて頭を抱えていた。何か問題が起きたであろう様子に足を止める。
 緩く顔を上げた彼女は途端ぎょっとしたように立ち上がった。

「どうされましたか!? 顔が真っ青ですよ……!!」

 その驚きようにむしろ、こちらが驚かされたがそれには触れず本題に入る。片桐が戻って来たら事だ。

 事情を聞いたマリアは更に目を見開き、酷く驚いたような顔をした。やはり、自分が見た光景などただの考えすぎと、そういう事だろうか。
 しかし、ポツリと溢したマリアの独り言によって、別の不安が膨らむ。

「やっぱり……片桐は……。落ち着いて聞いて下さい、クロエ」

 意を決したようにマリアが話して聞かせた内容は、先程見た光景とややドッキングしているような夢の話だった。あまりにも内容が一致し過ぎていて、とても無関係とは思えない。

「マリア、一度片桐に話を聞いてみるべきだと思うけれど」
「片桐が簡単に口を割ると思いますか」
「じゃあ、バルトルトに聞いてみる? 何だか、仲悪くは無いみたいだし」
「どうでしょうか……。バルトルトが何か知っているとは考え辛いですが。どころか、片桐と要らない繋がりがある可能性もあります。もういっそ、寝首を……」

 マリアが不穏な事を呟いた瞬間、狙い澄ましたかのように教会の両開き扉が態とらしい音を立てて開かれた。

「片桐!」
「おや、随分な歓迎だ。お話中失礼致します。書状の件はどうなりました?」

 事務的な用件を切り出した片桐に対し、顔色の悪いマリアは首を縦に振る。

「ええ、書状に関してはとっくの昔に完成しています」
「顔色が悪いですね。気分でも優れませんか?」

 本当に気分が優れないであろうマリアは、その問いを華麗にスルーした。それどころではないのだろう。
 訝しげな顔を一瞬だけした片桐はしかし、それに対し言及はしなかった。不自然な静寂が満ちてしまったので、代わりにクロエが口を開く。いたたまれなかったのだ。

「片桐、どうやって鳥に書状を着けて飛ばすの?」
「一緒にやりますか、王よ」

 扉の前に立っていた片桐が指笛を吹いた。伸ばした腕に白い鳩に似た鳥が舞い降りる。そんな鳥の片足を指さして彼は淡々と説明してくれた。

「この細い筒に書状を入れて、返せば良いのです。……やってみますか?」
「やる」

 その後、5分掛けてレクチャーを受け、無事に鳩を飛ばす事に成功した。意外にもこちらの興味に付き合ってくれる姿勢。機嫌がかなり良いか、悪いかのどちらかだとしか思えない。

「どうかしましたか?」
「ううん。鳥って良いね」

 片桐、とマリアが彼の身を呼んだ。