2話 隣街の王サマ

15.巨大な人影


 その言葉が意味する事に気付いたのは互いの士位2人だった。

 片桐がずいっとクロエの前に出、ルベリィが情けない悲鳴を上げつつも、やはり自らの王位を庇うように前へ出る。つまりは、そういう事だった。
 先に話し合いを投げたのはハルリオ。その話し合いを諦めさせたのは自分。
 もっと他に良い言い方があったのだろうか。頭の隅で僅かにそう考えながらも、ハルリオの動向を窺う。

 ――などと、暢気に考えている場合では無かった。
 先に動いたのはハルリオの指示を受けたルベリィだ。腰に差していた長剣を握り締め、果敢にも片桐へ向かって地を蹴る。最初の動き始めはハッキリと見えたが、加速した瞬間見失ってしまった。

「やっと本性を現しましたね。まあ、こちらの方が早く決着しそうだ」

 好戦的に嗤った片桐が、それを抜刀した得物で受け流し、ルベリィの姿勢をあっさりと崩す。

「きゃあっ!? あ、あれ、片桐さんってこんなに強かったっけ……?」
「能ある鷹は、って言うでしょう。まさか精々模擬戦に全力で臨んだりはしません。まあ、それはそちらの王位の人徳のせいでもあるのでしょうが」

 狼狽えたような表情をしたルベリィはしかし、気を取り直したように剣を構え直す。どうやらこの2人、模擬戦という形で手合わせした事があるようだ。
 攻め倦ねているらしいルベリィに氷点下の笑みを手向けた片桐から仕掛ける。彼は真正面から得物を振るうような、易しい方法は取らなかった。受けようとした彼女をあっさりと躱し、カウンター。

 ルベリィがその場から飛び退いたが僅かに遅い。振り下ろした片桐のカタナが彼女の腕を深く傷付け、鮮血がしぶく。

「お、これは勝負が決まったかな」

 他人事のようにバルトルトが呟いた。そういえば、マリアもバルトルトもちゃんとこの場に居るのだった。すっかり忘れていたが。
 ギャラリーを振り返ると、マリアが険しい顔をこちらへ向けていた。

「クロエ、恐らくそろそろ止めた方が――」

 金属同士がぶつかる甲高い音。慌てて片桐へと視線を戻す。
 バルトルトが先程言った通り、決着はしたも同然だった。片桐が切り裂いたのは、ルベリィの利き腕。彼女の血が滴る腕では、既に得物を振るう事が出来ない。案の定、先程まで持っていた武器は遠く、地面に突き刺さっているのが見えた。

 ――これは、止めた方が良いかもしれない……。
 僅かに血糊が付着したカタナの切っ先を、ルベリィへと向ける片桐の表情は窺い知れない。ただ、こんな会談で人死にが出来るのは勘弁願いたいところだ。
 ハルリオが止めるかに思われたが、青い顔で現状をただ見ているだけ。仲裁は望めそうにない。

「待って、片桐。そこまではしなくていいから」
「――良いのですか、本当に。今ここで、喧嘩を吹っ掛けて来る隣街の牙を折るのは、我々が安全に生活する上で必要不可欠であると考えます」
「けれど」
「話し合いで解決出来ないと悟るや否や、武力を嗾けて来る、会話の通じない猿のような王位。野生動物も同然なので、一度痛手を受ければ二度とちょっかいなど出して来ませんよ。きっと」
「片桐。彼は人間だから、そういう言い方は良くない。相性が悪いのは分かっているけれど、必要以上の危害を加える事は赦さない」

 全く笑っていない片桐の目と目が合う。正直、震え上がる程に恐ろしいものを感じるが、それでも彼は意外と言う事を聞く人間だった。
 ふいっと目を逸らすと、ルベリィの首筋を捉えていた切っ先を地面へと向ける。殺意は無いぞ、と示しているのだろう。

 ――と、不意に片桐の目が大きく開かれた。しかし、見ているのはクロエではない。その上。空。
 その様子に気付いたのか、はたまた偶然か。ハルリオとルベリィもまた呆然と空を見上げていた。恐る恐る、クロエも背後を見やる。

「……えっ、お、大きな雨雲!?」

 否、これは雨雲ではないかもしれない。急速に広がって行くそれは、とても雨雲の広がる速度では無い。同時に雨粒が地面を叩く特有の音が耳に届く。

「ルベリィ! 撤退するぞ!!」
「え、あ、はい!」

 一番にその場から逃げ出したのはリーンベルグ勢だった。黒い雨を降らせる雨雲以上に黒々としたそれに、生命の危機を感じたのだろう。
 慌てたようにマリアが叫ぶ。

「私達も撤退を! 様子がおかしいので、あの雨には長時間降られない方が良いかと!」
「そうだね、撤退」

 片桐が得物を納め、ひらりと馬に跨がる。先頭を買って出たので、皆がその後に続いた。
 マリアと並走していたクロエだったが、不意に背後から視線を感じ、首だけを動かして後ろを見る。

「――え」

 人。いや、ここからハッキリと人間のようなものだと分かる以上、それは人のサイズを超越していると言える。
 遠目でもハッキリと分かるサイズのそれは、ただただ立ち尽くしていた。黒々とした切り絵のような何か。酷い威圧感だ。今すぐにここから逃げ出して、二度と会わないと誓いたくなるような。

 意識をそちらに持って行っていたからか、馬の走る速度が落ちていたようだ。隣に並んで来た片桐が、この速度の中で強い口調で言う。

「撤退を。前だけを見て下さい」
「あ、うん」
「こちらです」

 更に反対側の隣を走っていたマリアにまで導かれ、その人影モドキどころでは無くなった。

 しかし、漠然とした予感が撤退を邪魔する。
 何の根拠も確証も無い。けれど分かる。あの人影こそが全ての元凶であり、早急に処理する必要があるものなのだと。

 逃げながら、最後にもう一度だけ振り返った。
 ――どこにあるのかも分からない目と視線が交錯した気がした。