2話 隣街の王サマ

10.お仕事の進捗


 あとさ、とバルトルトがやや難しい顔をした。何というか、彼は真面目な表情があまり似合わない。

「――さっき、俺にここに住まないかって聞いてきたろ」
「ええ。もう答えは決まった?」
「決まった、って言いたい所だけど今すぐには決められねぇな。俺はカタフィに居て楽しそうだと思うけどよ、ここには片桐が居る。お前の意に背くのは士位としてどうかと思うが、結局は片桐の腹次第だと思っててくれよな」
「何故? 肝心なのは片桐の意見ではなく、あなたがどうしたいかだと思う」
「そういう訳にはいかねぇな。俺よりあっちのが強ぇし。出てけ、って言われたら出て行くよ。死にたくはない」

 動物の縄張り争いみたいだな、と冷静な頭がそう呟いた。そう、同じ人種であるにも関わらず、やれどこの街には既に誰がいるだの、馬鹿馬鹿しいとしか思えない。が、そこまで言われてしまえば食い下がる事など出来なかった。
 万が一――まさか、片桐がそんな軽率な事をするとは思えないが――彼等が本気で争い、殺し合いを始めた時、自分にそれを止める力は無いからだ。であれば、バルトルトを無理に引き留めるのはただの迷惑行為という事になる。何せ、今居る人員の意見を諫める力を持たないのだから。

「なあ、お前、片桐の事はどう思ってんの?」
「片桐? カタフィを造った、私の面倒を見てくれる人だと思っているけれど」
「――そうか。なあ、あのさ、あんまりこういう事を率先して言いたくないけど、アイツかなり厄介だから。気を抜かない方がいいぜ。ホント」

 ちら、とバルトルトの表情を窺う。彼は感情が顔に出やすいが、そうであるが故に何か悪意があったり嘘を吐いているような事は無いのだと理解出来る。
 ――というか、2人はやっぱり知り合い?
 片桐が彼に斬り掛かったのは記憶に新しいが、そもそも知り合いでなかったら有無を言わさずあの場で粛正していた可能性もある。あの場で、バルトルトの首が繋がったままだったのは。偏に彼等が顔見知りだったからではないのだろうか。

 その思考を裏打ちするかのように、片桐が彼の事を捜していたという事実に行き当たる。

「バルトルト、片桐と古い知り合いか何かなの?」
「え? 全然違うけど?」

 クロエはゆっくりと首を傾げた。

 ***

 マリアは暗澹たる思いで揺れる水面を眺めていた。
 今日は人っ子一人いない水汲み場に入っておよそ2時間。何もする事が無い、というのはどことなく気持ちが落ち着かない。最近、クロエが加わった事によって多少なりとも賑やかになって仕事が増えていたからだろう。

 昨日はカタフィの近くで長い間、黒い雨が降っていた。お陰様で溶け出した魔力の水を浄化する為、ずっとこの場から動けない。メンテナンスがいつ終わるのかは、聖位となって日が長いマリアでさえ分からなかった。

 疑似女神の涙を眺めつつ、昨日見た光景を思い返す。特にやる事も無かったせいで、その珍しい光景の反芻をする事くらいしか出来なかった。

 先日の夕方、随分と暗くなっている時間帯。この水汲み場へと忘れ物を取りに来ていたのだが、何故かバルトルトと片桐が会話している場面を目撃した。
 こんな場所、水を汲みに来る以外で人が訪れる事は無い。華やかな街の中央部と比べ、酷く事務的な空間だからだ。よって、足下が覚束なくなるような時間帯には人が捌けてひっそりと静まり返っているのが常の状態。
 ――密談するには、もってこいの場所。普通の飲食店などでは話せない内容でも話しに来たのかも知れない。

 が、残念な事に話の内容については詳しく聞こえなかった。姿が見えているだけで、そこそこの距離はあったからだ。
 ただ、2人の力の関係性だけは窺い知れた。
 片桐の方が指示が強い。彼が何か言うのに対し、バルトルトは出来るか出来ないか、イエスかノーのみで答えているようだった。つまり、逆に質問をする事を赦されていない立場だったのだ。

 ――あの場所で何の話をしていたのだろうか。
 2人は知り合いではないのだと、片桐本人から聞かされている。では何故、人目を憚るように密会をしていた? もしかして、カタフィに何か――

「……あれ」

 そういえば我等が王位・クロエは誰が見ているのだろうか。当然、ここに居る自分は彼女と朝から顔を合わせていない。であれば、片桐が付いている必要がある。
 まさかとは思うが、余所の士位を街の中に入れている状態で彼はクロエの護衛を放棄しているのではないか。
 否、そもそも片桐が彼女について親身に接しているイメージが一切湧かない。やはり、放置しているに違いないだろう。

 ――しかも、明日の会談についても話し合う必要があるのに!
 痛む胃を押さえながら、水の濁り具合を観察する。控え目に言って、あと1時間はここから動けないくらいの進捗だ。飲み水の未確保は民の死に直結する。元々の仕事を投げ出して様子を見に行く訳にはいかない。
 ここに居る事を誰かに念押ししておけばよかった。
 深い後悔と共に、やはりマリアは胃を押さえた。