2話 隣街の王サマ

07.チェーンと鍵


 ただ、こんな状況になれば一目瞭然だが片桐は自分の存在に最初から気付いていたのだろう。慌てた様子も無く、先程から祈りを捧げていたチェーンを首から提げる。

「どうかしましたか、そんな所に突っ立って」
「あ、いや……」

 呆然と立っているのもおかしい。そう思って、彼の前まで歩み出る。教会内部には自分と片桐以外の人影は当然ながら無かった。
 何故かマリアの忠告を思い出しながら、言葉を発する。

「何だか、邪魔してごめんね」

 邪魔、という自らの言葉に触発される形でさっき見た光景が鮮明に脳内に蘇った。決して邪魔をしてはいけないような、神聖且つ珍しい、1枚の絵にも似た状況が。

 しかし、好奇心とは恐ろしい衝動だ。悪い悪いとは思いつつも、片桐が大事そうに握りしめていたチェーンの先を視界に入れる。
 場所が場所だっただけに、女神信仰を意味するエンブレムかと思っていたが全く異なる物だった。それはくすんだ色をした鍵のような何か。酷く不穏な気配が漂っているような気さえする。

「何か、聞きたい事でもあるのですか?」

 思っていたより柔らかい片桐の声で我に返る。これは怒りが一周回って、逆に優しくなっているパターンかもしれない。
 素直に疑問に思った事を口にすべきか否か、一瞬だけ迷う。しかし、結局は正直に問い掛けるのが一番だろうとクロエは口を割った。

「その、それは何をしていたの?」
「祈りを捧げていました。――神に、ではありませんが」
「教会で神以外に祈りを捧げる事なんてあるの?」

 ちら、と鍵を見る。それは華やかな印象のある片桐には似付かわしくない物に思えてならなかった。

「教会とは必ずしも女神への祈りを捧げる場所では無いと私は思っています」
「そうかな?」
「ええ。教会とは即ち、愛を捧げる場所ですから」

 ――あまりにもらしくない言葉過ぎて、リアクション出来なかった。
 困惑が伝わったのか、或いは全く伝わらなかったからか。片桐は聞きもしないのに言葉を続ける。

「民衆への愛、それは美しく華やかなものでしょう。女神信仰とはそういうものだ。けれど、世の中綺麗事だけではどうにもなりません。そんなものより、もっとずっと大事な物があるでしょう?」
「……例えば?」
「唯一に対する愛、だとか。私はそれを何よりも重んじています」

 ――余計に訳の分からない事になってきたな……。
 今まで何度も対人していて意図が読み取れない事はあった。しかし、こうもちぐはぐな事を言われてしまっては結局の所何を言いたいのかさっぱり分からない。扱いが難しい、彼は。
 よく考えながら、言葉を慎重に選定する。全く以て巫山戯ているようだが、彼の言葉の響きは重い。真実味がある。適当にあしらう事は出来ない。

「一人? 女神の事?」

 違うと分かってはいたが、鎌を掛ける意味でそう問う。
 案の定、片桐は苦笑した。見当外れである事を物語るような苦笑だ。

「そうでないからこそ、私は士位なのかもしれない」
「聖位とは――聖職者の定義とは何?」
「言い逃れは出来ませんね。カタフィには見本のような、マリアという女性がいるではありませんか」
「マリア。確かにマリアは、誰よりも信仰を重んじていると思う」
「そして――恐らくは貴方にも、その気がある。赤の他人の為に心を砕ける存在が、或いは聖職者というものなのでしょうね」

 ――そうであれば、恐らく片桐は当て嵌まらない。
 その事実がストンと呑込めた。マリアは、片桐もまた聖職者であるとそう称していたが、前々から分かっていた。それは、彼女の勘違いであるのだと。

「あなたが聖職者で無い事は理解した。誰に信仰心、もとい愛が向いているのかは分からない。けれど、大事なものを認識出来ているのならそれはとても素敵な事だと、私は思う。無理にマリアのような聖職者になる必要は無い」

 ふ、と一瞬だけ片桐から表情が消えた。ぎょっとして息を呑む。要らない地雷を踏み抜いてしまったのではないか――
 と、そう思った。しかし、瞬きの刹那。見た事も無いような穏やかな笑みを彼が浮かべたのを見て、失言では無かったのだと悟る。
 今の会話の何が、彼の琴線に触れたのかは分からない。ただ、不快な思いをしている訳では無さそうだ。

 不自然な沈黙。
 やや間を置いて、片桐が口を開いた。

「――そうだ、バルトルトはどこへ行きましたか? それを聞こうと思って、私は貴方がここへ来るのを待っていたのでした」
「バルトルト? 彼なら、マリアが用意した宿泊所に行ったけれど」
「そうですか。少し、お話があるので出掛けて来ます」

 言うが早いか、片桐は服の外に露出していた鍵とチェーンを衣服の下にしまった。ああいう形でいつも持ち歩いているのかもしれない。

「ああ、そうだ。クロエ、私が戻らなければ適当に切り上げて戻っていて貰って構いません。マリアはあの通り、今日1日は仕事に追われる可能性がありますから」
「分かった」
「では」

 去って行く片桐の背を見つめながら首を傾げる。
 聞ける空気ではなかったので、そのまま流してしまったが――結局、『唯一』とは誰の事なのだろうか。
 付き合いの長い、マリアの事だろうか。
 そういえば彼女は片桐の事を信用出来ないと、そう言っていたが現状において特段危うい雰囲気などは無い。