2話 隣街の王サマ

05.バルトルトのお遣い


「なあ、ちょっと話が――」

 入って来たバルトルトが用件を切り出しかけて、そして不自然にその声が途切れた。彼はクロエを素通りして遠くを見、ぎょっとした顔をして硬直している。
 どうしたのか、そう問おうとした言葉はしかし頭上で聞こえた重い物が落ちるような音で遮られる。民家の屋根辺りから聞こえて来た物音に、クロエもまたそちらを見やった。

 途端、視界の端で輝く鈍色。屋根から飛び降りてくる何者かが一瞬だけ目で捉えられる。
 先頭向き位持ち、士位のバルトルトはそれをいち早く察知。折角街へ入って来たにも関わらず、また敷居を跨いで外へと出て行った。というか、出て行きざるを得なかったと言える。
 先程までバルトルトが立っていた場所に、触れれば血が噴き出しそうな片刃の刃物が突き刺さる。屋根から降って来た人物が、彼を仕留める気満々で振るった刃だ。

「か、片桐……!?」

 どんな跳躍力をしているのだろうか。クロエの頭を飛び越え、目の前に着地したその背中はよく知る人物のものだ。
 片桐は振り返る事無く、バルトルトと相対している。背中を向けているので表情は伺えない。バルトルトはと言うと引き攣った顔に無理矢理、好戦的な笑みを浮かべているのが見て取れた。そりゃ、そんな引いた顔にもなるなと心中で同意する。

「ハッ、お前には危機管理能力がちゃんとあるみたいだな……!!」
「何の用事ですか」

 バルトルトの憎まれ口をバッサリと一蹴した片桐が訊ねる。感情の色は伺えない、淡々とした声音。この様子からして、2人は全く初対面のようだ。

「あーあー、別に何かしようって訳じゃねぇんだよ。さっきも言ったけどな」

 両手を挙げて抵抗しない意を見せたバルトルトは首を横に振る。それを余所に、片桐はカタナを握り直した。話を聞く気はさらさら無いらしい。
 折角カタフィまで足を運んでくれた客を殺されるのは困る。慌ててクロエは口を挟んだ。

「待って、片桐……! 用事があるらしいから」
「――王よ、貴方にも後でお話があります」

 ――これ、本当に怒ってるかもしれない。
 聞いた事の無い冷たいトーンに背筋が伸びる。盛大な溜息を吐いた片桐は、これ以上の追求は避けるかのようにカタナを鞘へ収めた。

 ***

 場所は変わり、教会へ。
 道の真ん中でややこしい話をする訳にもいかなかったので、バルトルトの用事はここで窺う事になった。
 最初から教会に居たマリアには片桐が事情を簡単に説明する。ただ、本当に簡単だったので当のマリアに事の概要だけでも伝わったかは定かでは無い。

「――で、客とやらの話を聞く前に。私から貴方にお話があります」

 ぐい、と片桐が近付いて来る。こちらの返事を待たずして、彼は言葉を続けた。

「危ないので門は簡単に開かないでください。コイツだったから良かったものの、悪意のある他街の士位だったらどうするつもりだったのですか」
「ごめん……」
「とにかく、安易に中へ入れる前に一度私かマリアに話を通してください。カタフィにおける権限全てが貴方にある訳ではありませんので」
「分かった、次からは誰かに一度言うことにする」
「頼みますよ、本当」

 怒らせてしまったようだ。とはいえ、よくよく考えてみれば彼の言う事は至極正しい。次からは気を付けるとしよう。

「――で、そろそろ俺の用事の話をしていいか?」

 身内の準備を待ってくれていたバルトルトが痺れを切らしたかのようにそう言った。ええ、と興味は全く無さそうに片桐が応じる。
 そのあまりの適当さに肩をすくめた士位殿は自身の用事について話始めた。

「まず、俺は定住していない流れだ。で、1週間前くらいにリーンベルグに到着したんだが、そこでお遣いを頼まれちまってよ。そんで、次はカタフィに来たって訳だ」
「御託は良いので、さっさと内容を聞かせて貰えますか」
「俺の事が嫌いなのか、コイツ……。まあいいや、向こうさんの王位から言われた事をそのまま伝えるぜ。『隣に町を作ったのに挨拶も使者も寄越さず横着。互いの街運営の為、一度会って話をするべきだ。3日後、リーンベルグとカタフィの中間地点で会談を開く』だってよ」

 ふん、と片桐が不機嫌そうに鼻を鳴らした。メッセージの前半部分が気に障ったものと思われる。それに、3日後というのもいやに性急だ。こちらの予定については考慮しないつもりのようだし。
 胡散臭い笑みを顔から一切消した片桐は凍り付いた声音で呟く。

「リーンベルグまでは半日掛かるな……」
「だから3日後なんだろうよ」
「頭が高いですね。泣きついてくるまで無視しておいて良いのでは?」

 冷え切った拒絶の言葉に息を呑む。何だ、マリアもそうだがリーンベルグとは相性が悪いのだろうか。しかし、またとない機会だ。その内、会合とやらも行う必要があった。