2話 隣街の王サマ

02.隣街の噂


「ええ、そうですね。それに、最近の彼は――」

 なおも何事かを口にしかけたマリアの言葉はしかし、外からドアを開けて入って来た何者かの立てた音によって遮られた。
 逆光になって一瞬誰なのか分からなかったが、一拍を置いてすぐに気付く。これは――先程から姿を見かけなかった片桐だ。

 態とらしい足音を立てながら片桐が真っ直ぐにこちらへ歩み寄って来る。聞いた話が聞いた話なので、背筋が自然と伸びた。謎の緊張感がその場に満ちる。マリアもまた、気まずい顔をしていた。
 会話できる距離まで近づいて来た片桐がいつも通りで、そしてマリアに能面と言われた胡散臭い笑みを浮かべる。

「おや、私の悪口ですか?」

 ――気にして無さそう。
 あっけらかんと言ってのけた口調に唖然とする。間違いなく会話の内容のまずい部分を聞いていただろうに、何とも思っていないのがよく分かる。どころか、マリアの洗脳を逆に洗脳仕返す勢いで冗談めかした言葉まで吐き出した。

「王位よ、気にする事はありません。彼女はすぐに私を扱き下ろすので」

 はは、と乾いた笑い声を漏らした彼から、軽く肩を叩かれる。何も問題は無い、友達にするような気安さだ。
 ――敵意があるようには……見えないけれど。
 それが歯牙にも掛けていないという意味なのか、本当に王位殺しなんて物騒な真似をしないという意味なのかは分からないが。

「片桐、貴方ここへは何をしに来たのですか」
「うん? 私が教会に居るのは可笑しいですか? まあ、ちょっとした報告です」
「報告……」
「ええ。先程まで、魔物討伐に出掛けておりまして。夜中からの長丁場でしたよ」
「お疲れ様、片桐」
「ええ、ええ。王からの労いの言葉が無ければやっていられませんとも」

 そこで一旦言葉を切った我等が士位は一瞬だけその胡散臭い笑みを引っ込めた。と、言うよりそのニュアンスがほんの一瞬だけ変わったと言えばそれが正しい。
 マリア曰く能面のような表情から、苛立ちを隠す為の笑みへの変貌。それを見た瞬間、今し方聞いた聖女からの忠告が色鮮やかに蘇る。恐らくは初めて、片桐の事を恐ろしいと思った。

「ゴブリン系の魔物を討伐しに行ったのですよ。食料調達も兼ねて、ね。しかし、隣街の士位に横取りされてしまいました。いやはや、こっちは徹夜していると言うのに。無情なものですね」
「そう、大変だったね。片桐。たまに獲物が被ってしまう事もあるし――」
「ああいや、あれは挑発行為ですよ。リーンベルグからの。この広い平原、無限に存在する魔物の中からわざわざ同じ獲物を狙う意味は無い」

 確かに、と渋い表情で同意したのはマリアだった。

「片桐が言う事は正しいでしょう。……リーンベルグとは、早めに停戦協定なり同盟なり組んだ方が良いのかもしれませんね」
「そうなんだ。私も、私以外の王位に会ってみたい」
「うーん、それに関してはすぐに会ってみますか、とは言えませんね」
「何故? ご近所であるし、私も他の王位の運営方法を聞いてみたい。こんな状況だし、近くの街で協力し合う事はとても素敵な事だと思う。以前聞いたけれど、リーンベルグには聖位が居ないのでしょう? 水の確保なり、難しい状態じゃないの?」

 性格に難がある、とは何度か聞いた。しかし所詮は同じ人間。上手くやっていく方法がきっとあるはずだ。
 すぐにでも会合の約束を取り付けるべき。そう思ったその思考を打ち切るように、片桐の思いの外冷たい声音が割って入った。

「行ってそのまま暗殺などされても困ります。何も計画を立てず、行き当たりばったりで視察に行ける場所ではありませんよ。一度、リーンベルグの事は忘れて下さい」
「え……」

 強く、冷えた声音。唐突な変わりようにマリアでさえぎょっとした顔をする。

「――失礼。ともあれ、本当に他王位の『ウォール』内部は危険です。あまり急がない方が良いかと」
「そう、ですね。リーンベルグ側とも、使者を送り合って日取りを決める必要もあります。クロエ、残念ですがすぐに会合を行う事は難しいかと」

 確かに、2人の言う通りだ。気持ちが急いてしまったが、先方の都合もある。気長に待った方が良いだろう。

「ごめんね、せっかちな事を言って」
「いえ、避けては通れない問題です。私達も早めの解決に向けて考えてみますね」

 そう言うと、マリアは微笑んだ。