2話 隣街の王サマ

01.マリアとの約束


 翌日、起きて早々にクロエは教会内部へと向かった。というのも、日々のルーチンワークというものが積み上げられていないので、起きてまず何をすればいいのか分からなかったのだ。
 共有施設である教会へ行けば、誰かいるかもしれない。その目論見通り、荘厳な気配を漂わせる神の為の建築物内部には、聖位・マリアがお手本のように祈りを捧げている姿が発見出来た。ホッと安堵の息を吐きながら彼女の様子を伺う。

 邪魔をしてはいけない、そう思ったが意に反してマリアはすぐこちらに気付いた。組んでいた両手を解き、柔らかくも美しい笑みを浮かべる。

「おはようございます。昨晩はよく眠れましたか?」
「おはよう。よく眠れたと思う。マリアは、朝からお祈り?」
「はい。日課ですので」

 彼女の姿はあるが、片桐はいないようだ。

「片桐はいないの?」
「ええ」

 ――マリアしかいないようだが、昨晩見た鏡の中に写る人物について話しておいた方が良いだろうか。
 一瞬悩んだが、やはり時間がある内に共有事項は共有しておくべきだと思い至った。というのも、彼女等にはそれぞれの仕事がある。全員が揃う事など、日中には無いのかもしれない。

「マリア、少し相談があるのだけれど」
「え、どうかされたのですか? 私に何でも話して下さいね」
「うん。それが昨日――」

 マリアに昨日起きた事を話して聞かせる。鏡の中に男の顔が写った事、同種の人間のような気がする事、覚えておいた方が良いという漠然とした予感がある事――
 一通り順序立てて説明したところ、聖女様は分かりやすく顔を曇らせた。何かマズい事を言ったような気がしないでもないが、彼女が何に対し困惑しているのかまでは理解しかねる。

 ややあって、マリアはマリアなりの推測を語り始めた。

「その、鏡の中にいた男ですが……。クロエ、貴方の見た物が全て正しかったと仮定して話を進めると、特徴がリーンベルグ街のハルリオ・ディーンに酷似しています」
「ハルリオ?」
「はい。リーンベルグの王位です」

 何か問題があるようには思えないが、何かを言い辛そうにその先を言い淀むマリア。

「どうかしたの? 何だか困っているみたい」
「……ええ、そのハルリオですが……。彼の王位は自分以外の人間は全て敵、余所の街なんて存在すら目障り、というスタンスの方でして。何度かお会いした事がありますが、女性の士位が常にピッタリついている、ピリピリした御仁でした」
「気難しい人みたいだね」
「ええ、まあ……。我々の街とは切っても切れない仲、でしょうね。かなり近い場所にありますし。ただ、私としては彼にあまり良い思い出はありませんが」

 聖女然とした彼女にここまで言わせるハルリオとはどのような人物なのだろうか。逆に興味が湧くのと同時、やりづらそうな人物である事もうっすらと把握した。手を焼きそうだ。

 ところで、と不意にマリアが話題を変えた。

「クロエ、貴方には少々変わった力が備わっているようです。位持ちとは別の、個人的な力が」
「それは私に聞かれてもよく分からない。ごめんね、マリア」
「いえ、それは良いのです。何か便利な力がある、それそのものに関しては悪い事ではありませんから。ただ――出来ればその力の事は、私以外にはお話をしないで貰えますか」
「どうして?」
「民衆とは未知なる力を恐れるものです。他でもない貴方の身に危険が及んではいけません。それと……勿論、片桐にも内密でお願いします」
「片桐にも? あまり、そういった事を気にするようには見えないけれど」

 いいえ、とマリアはその首を横に振った。悩ましげな表情をしている。

「ああ見えて……彼は敬虔な女神信仰者でもあります。本当に聖職者として申し分の無い信仰を持ってはいるのです。でも、彼は士位だった。聖位ではなく。何がどういった基準で士位という位を授かったのかは分かりません。けれど、きっとその出来事は彼の誇りだとか信心を傷付けました」
「そう? 細かい事をネチネチと考えるような繊細さは無いと思う」
「分かりません。あの能面のような表情からは、感情を読み取る事が全く出来ませんし。だけど、でも、持ち合わせていた信仰心だけは本物。それは違えようがありません」
「そうだったんだ」

 彼は、と頭を抱えるように沈痛な面持ちでマリアが言葉を絞り出す。憂い顔がよく似合うな、と何故か見当外れの事を思った。

「クロエ、貴方を傷付ける意図は全くありませんが、恐らく片桐は王位の存在を認めてなどいません。女神以外の言う事をはいはいと受けるような人間性ではない……。恐らくは貴方が特別な女神の支援を受けている事に関しても内心面白く無いと思っている可能性が高い状態です」
「私はまだ片桐に認められていないという事ね」
「……ええ、恐らくは。片桐の中に他人を完全に認め、主として意見を聞き入れる心があるのかどうかも、定かではありません」
「それならそれで構わない。思考は他人に縛られるものではないから」

 クロエ、とマリアは言い聞かせるように言う。

「王位に、その他の位持ちを服従させる力はありません。そして片桐は……本来はデメリットしか無い王位殺しをやってのける整合性の無さを持つ一面があります。彼の事は人間と言うより絶対に懐かない野生の獣だと思って貰った方が安全ですらあるでしょう」
「とても暴言を吐くね、今日は」