1話 街の住人

10.王位のお仕事


「――あ」

 クロエがそれを見つけたのは、走り始めて5分程経った時だった。足の速い馬のお陰で流れるように過ぎて行く景色。その中に、自分達と同じ馬に乗った人間の集団を発見したのだ。
 とは言っても距離はかなり離れている。馬に乗ったシルエット、と言えばそれが正しいくらいには。

「マリア、見て。人が居る」

 話し掛けたからだろうか。片桐が僅かに速度を落とし、マリアもまたそれに倣った。遅くなったのを良いことに、人影を指で指し示す。最初に呟きへ応じたのは片桐の方だった。

「あれは、他の街の住人ですね。この雨の中、うちの人間が出歩くとは思えません」
「他にも街があるんだね」
「ええ。彼等も、街の近くに出没した魔物を討伐しに来たのでしょう」

 あちらは、とマリアが目を細める。

「リーンベルグの街ですね。かなり古くからある、2代続く伝統深い街です」
「そうだったんだ。今度、新しく来たって挨拶しに行かないと」
「はは、止めておいた方が良いですよ、王。リーンベルグは好戦的な街です。要らないいざこざは起きない方が良いでしょう」

 皮肉っぽくそう言った片桐の視線は馬で雨の中を駆けていくリーンベルグの住人へと向けられている。
 彼はリーンベルグ街を好戦的、とそう称したが彼自身も非常に好戦的な目を通行中の人間に向けているのが見て取れた。どっちもどっちではないだろうか。

「じゃあ、私達に気付いたらこっちに来るかな」
「どうでしょうね。それならそれでも構いませんが、今はそのような余裕は無いでしょう。雨が降っている事ですし」
「そうなんだ」
「ですが、その内カタフィにもやってくるかもしれませんね。ただし、戦争をしに」
「攻め込んで来るの? 同じ人間が運営している、同じような街に?」
「そうですとも。人とは醜い生き物なのですよ、王様」

 酷く達観した調子でそう言った片桐は目を細めた。リーンベルグの一行を見ていた冷ややかな目ではなく、こちらへ何かを訴えかけて来るような目。違いはありありと分かるが何を意味しているのかまでは不明瞭だった。

「クロエ、取り敢えずは街へ戻りましょう。身体を冷やさないようにして下さいね」

 会話が途切れたのを見計らい、やんわりとマリアに先を促される。承知致しました、とおどけた声音でそう言った片桐が手綱を持って走る速度を上げた。

 ***

 カタフィに辿り着いたのは午後3時を回った頃だった。マリアのローブは洗っても黒いシミが落ちないとの事で廃棄する事になってしまい、申し訳が無い。やや落ち込んでいると、ローブを捨てる決断をしたマリアがやんわりと話し掛けてきた。

「クロエ、ローブの事は気にしないで下さい。また作るなり買うなりすればいいのです」
「ごめん……」
「いえ。ところで、今から教会に寄って貰っても良いですか?」
「いいけれど、何かあるの?」

 はい、と表情を曇らせたマリアが頷く。

「私達も黒い雨に当たってしまいましたから。体内の不浄をみそぐ為に、『女神の涙』の元へ行く必要があります」
「そうだったね。早く行こう」
「あ、それでですね。体内に入り込んだ黒い雨を流す為には、王位に『涙』の近くに居て貰う必要があるのです。時間を取らせてしまって、すいません」
「気にしないで欲しい。私もマリアのローブを駄目にしてしまったから。さ、行こう」

 一刻も早く教会に行くべきと判断し、カタフィの整った石畳を踏みしめる。その後ろを当然のように片桐が付いてきた。

「私も同行しましょう。濡れてしまいましたからね」
「片桐、魔物と戦っていたけれど怪我はしていないの?」
「私が? まさか、見くびって貰っては困ります」

 質問の答えにはなっていないが、取り敢えず怪我などは無いようだ。結構な運動量だったように見えたが、足取りもしっかりしていて疲れを感じさせない。体力の量も根本的に違うのだろうか。
 小さな疑問を覚えつつ、足を進める。ともあれ、何よりもまず教会へ向かう事が鮮血だ。

 教会に辿り着くと、マリアはこちらへ一礼し、そして『女神の涙』へと祈りを捧げ始めた。絵に描いたような完璧な祈りの姿勢。1枚の絵のような彼女をぼんやりと見つめる。
 と、隣にちょこんと片桐が並んだ。例の胡散臭い笑みを顔一杯に浮かべている。

「……片桐はマリアみたいにお祈りをしなくてもいいの?」
「ええ、まあ」
「じゃあ、どうしてマリアは祈っているの?」
「彼女は信心深いですからね。教会に来て、適当に時間を潰す事が出来なかったのでしょう」
「片桐も今祈っていいんだよ」

 ふふ、と何故か笑われてしまった。小さな子供が頓珍漢な事を言った時の、大人の反応のようなそれ。

「私までああやって祈りを捧げ始めたら、小一時間はここに居なければならない、貴方の相手をする者が居なくなってしまいますよ」
「気にしないけれど、別に」
「まあそれに、祈りなど人前で捧げるものではありません。そこは私と彼女の、解釈の違いです。彼女は万人に見られても問題性を感じない敬虔な信者。私には私の祈る対象があるというものですよ」

 ――それは一体何に祈りを捧げているのだろうか。
 彼の言葉は時折長い。長すぎる。さらさらっと言葉を紡がれても理解に時間が掛かる事がたまにあるのだ。それに、今回の発言に関しては非常に嘘くさい。彼、本当に女神に対して祈りを捧げる事があるのだろうか。
 恐る恐る口を開き、今覚えた違和感を言及してみる。

「それは本当の事を言っているの? 嘘では無く?」
「嘘を吐いているように見えますか?」

 質問に質問で返すな、そう思いはしたが胡散臭い笑みを浮かべる彼にこれ以上の問答は無駄だとも感じ、クロエは口を閉ざした。