1話 街の住人

07.見解の相違


 ***

 一通り街を見て回った後、教会へと戻ってきた。
 そこで見た光景にクロエは緩く首を傾げる。

「人が居る」

 街へ繰り出す前には居なかった、恐らくは街の住人達。数名が椅子に座って一心不乱に中央の『女神の涙』へと祈りを捧げていた。ぶつぶつと何かを唱えながら、固く目を閉じている。
 ああ、と片桐が息を吐くような返事を漏らした。

「そういえば、『女神の涙』については説明しましたが教会そのものについてはあまり触れませんでしたね。見ての通り、教会は一般人の出入り自由です。万人が祈りを捧げる為の場所ですから」
「そうなんだね」
「先程までは我々がいたので、遠慮をして入ってこなかったのでしょう」

 のんびりそう言うと、片桐もまた最後列の椅子に腰掛けた。不貞不貞しい態度にか、マリアが眉をひそめる。

「片桐、私達は涙の保護下から出られないの?」
「私はともかく、王位である貴方は雨に当たろうがどうしようが問題ありませんよ。王位にとっての脅威は黒い雨ではなく、どちらかと言うと魔物の方でしょうね」
「私は雨に当たっても平気という事?」
「ええ。ですので、遠征へ行く際はどうしても王位を伴う必要がありますね。貴方の周囲には少なからず『ウォール』と類似した効果がある」
「そうなんだ。外に出る時は私も一緒に行くね」

 いえいえ、とマリアが割って入る。若干の焦燥を孕んだ声だった。

「危ないので、必要に駆られなければ外に出る必要はありませんよ。私達、聖位や士位も雨に当たってすぐ死に至る事はありませんから」
「そうなんだ、色々あるのね」
「貴方も、不安を煽るような事は言わないで頂けますか。片桐」

 わざとらしい悪気の無さそうな顔と共に片桐が肩を竦める。マリアに怒られているようだったが、反省の色は皆無だった。

「そう寂しい事は言わず。次に魔物討伐作業が必要になった時は一緒に行きますか、王様」
「うん、行ってみる」
「そうこなくては」

 ちょっと、と目を吊り上げるマリアを視界の端にクロエは外の世界について考えていた。とはいえ、乏しい知識では最初に意識を取り戻したあの場所以外の事についてしか分からないのだが。
 魔物にと言うより、街の外に興味はある。マリアには悪いが、外に出る用事がある時には積極的に同行したいものだ。

「――おや、噂をすれば」

 不意に片桐が立ち上がった事で思考が引き戻される。
 彼は教会の奥ではなく、入り口の方へその顔を向けていた。視線の先には急いで走ってきたのだろう、息を切らしている男の姿がある。

 男は片桐とマリアの姿を認めると、喘鳴を漏らしながらも深々と頭を下げた。そして、用件を聞くまでもなくペラペラと話し始める。

「し、士位様! 街の外に魔物が……!! 見張り台の者によると、真っ直ぐこちらへ向かってきているそうです!」
「ほう、そうでしたか。どのような魔物だったかは聞いていますか?」
「不定形の、スライムの類いかと……」
「ええ、ええ。承知致しました。準備ができ次第、討伐に行きましょう。もう下がって良いですよ」

 それを聞いた男はあからさまにホッとした顔をし、教会へ来た時とは正反対にゆっくりとした足取りで出て行った。報告業務が終わり、肩の荷が下りたのだろう。
 一方で、クロエは首を傾げながら片桐に尋ねた。

「どうしてこんなに広いのに、真っ直ぐ街を目指して魔物がやって来るの?」
「魔物は人を捕食しますから。餌を獲る為でしょうね。では、行きましょうか。スライムとの事ですし、大した事などありません」

 紳士的なエスコート、それらしく手を伸ばしてきた片桐のその手を、マリアが乾いた音と共に叩き落とした。唐突な暴力にぎょっとして聖女の顔を盗み見る。
 唇を引き結び、難しい顔をしたマリアは明らかに不満があるようだった。対して、片桐はと言うと僅かに目を細め彼女の唐突な行動に喉の奥で嗤っている。気を悪くしている風ではない。

「王位を連れて行く必要はありません。何故わざわざ、折角お越し頂いた王を危険に晒そうとするのですか。彼女の肩に何千人という人間の命が懸かっているのに」
「本人が来ると言うのだから良いじゃないですか。目くじらを立てる事じゃない。それとも何か、この何もない街の中にずっと小さな女の子を閉じ込めておくおつもりで?」
「教会にいてくれさえいれば良いと言ったのは貴方でしょう、片桐」
「おや、そうでしたっけ。……まあそれに、女神からのお告げもあります。一所に留めておくのはそれこそ問題だと思いますがね」

 理解が出来ないものを見る目で片桐を睨み付けていたマリアが、唐突にこちらを見やる。意見を求められているのだとすぐに合点がいき、クロエは口を開いた。

「私、外に出てみたい」
「……そうですか。いえ、少し取り乱しました。貴方がそう言うのであれば、私に止める権限などありません。ただし、私も同行させて頂きます」
「ありがとう」
「片桐に貴方の面倒を任せる事の方が無茶ですからね」

 決まるが早いか、片桐が丁度今、教会へやって来た一般人を捕まえ馬の準備を命じる。それを見たマリアが、ぐったりと頭を抱えた。