1話 街の住人

06.マリアの職場


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 街へ出てみると、擦れ違い様に色んな人から祈りを捧げられた。勿論、彼等彼女等には大変失礼だが恐らく一度も会った事が無い、街の住人達。
 向こうもクロエを物珍しげな目で見ていたが、クロエもまたそんな住人達を珍しげな目で眺めていた。何故、道行く人々は自分に頭を下げ、祈りを捧げるのか。

 その疑問を尋ねてもいないのに解消してくれたのは片桐だった。目を細め、笑っているのか睥睨しているのかよく分からない視線を讃えたまま、彼は淡々と物事の答え合わせをしてくれる。

「何故、祈りを捧げられているのか――簡単な事です。街の維持に王位は必要不可欠。まるで実際の王であるかのように媚びたくなるのは人の性ですよ、クロエ」

 思わぬ棘にまみれた一言に、ぎょっとして片桐を見上げる。細められていた目が、笑みの形に更に細められるのを見た。

「片桐、聖職者だって言っていたと思うのだけれど。違ったの?」
「ふふ、人の醜い部分を愛せてこその聖職者。そうでしょう?」

 ――やっぱり、何だか胡散臭い……。
 本当にそう思っているのかと小一時間程問い詰めたくなったが、恐らく暖簾に腕押し。無駄な時間になる気しかしなかったので、クロエもまたその返事を曖昧に受け流した。知識力に欠ける自分では彼の相手などままならない。
 しっかり舗装された道を歩いていると、不意にマリアが足を止めた。明るい表情に胸の奥がホッと暖まるのを感じる。

「クロエ、こちらの店を。ここ、とても重要なんです」
「……加工? 何かを加工する店なの?」

 大きく加工屋と書かれた看板が下がっている。食品を加工するのか、それとも何か別の物でも加工するのか。考え倦ねていると、あっさりマリアが正解を口にした。

「ここは魔物加工屋です。街の外に居る魔物を持って帰るとアクセサリーであったり、武器であったりに加工して頂ける場所なんですよ。それに、現在は深刻な食糧危機。魔物が食べられるという事実は私達の食生活をも支えています」
「そうなんだ」
「はい。恐らくよく足を運ぶ事になると思うので、おおよその場所は覚えて頂けるとありがたいですね」

 そう言ったマリアの言葉が右から左へと抜けて行く。何故だかその店に対しては、生理的な嫌悪感が湧上がって来てその解明に忙しいからだ。何故、どうして、この店だけは受入れがたい何かを感じるのだろうか。
 そんなクロエの状況など露知らず、マリアからそっと手を引かれる。

「さあ、それでは次へ行きましょう。日が暮れてしまいますからね」

 更に歩く事数分。
 涼やかな水が満ちる区画へと連れて来られていた。疎らにいる人々、彼等は一様に手に水瓶を持ち、その水を汲んでは区画から出て行っている。

 クロエもまた、その中身を確かめるように溜め池のような場所を覗き込んだ。
 非常に透明度の高い水がなみなみと満ちているのが見て取れる。このまま飲んでも何ら問題無さそうな程に澄み切った水だ。
 その池の中心には教会で見た『女神の涙』に似たものが浮いている。ただし、これに関してはサイズが非常に小さいのと、輝きは教会にあるそれには及ばないようだ。

「クロエ、ここが私の職場です」
「この場所が?」
「はい。私の一番の仕事は、水を清める事ですので」

 ――水を、清める……。
 いまいちピンとこなかったが、ここで黙っていた片桐が補足の説明を加えた。

「黒い雨で汚染された水を浄化する場所、という意味ですよ。食料よりもずっと、汚染されていない水の確保が難しいのが現状ですからね。それに、飲み水は端的に感染症の感染経路にもなる」
「そう。それじゃあ、マリアがいなければ、街は街として機能して居ないんだね。いつもありがとう、マリア」

 いえいえ、とやや誇らしげにマリアが首を横に振った。端的な謙虚さに目を眇める。

「ああ、そうだ。私は1日に一度は必ずここへ来るので、見つからない時はここを捜して下さい。恐らくは水汲み場に居ますから」
「分かった」

 嬉しそうに笑ったマリアが、不意に白いグローブを外す。艶やかで白い手が白日の下に晒されるのを見ていると、彼女はそのまま水を両手で掬った。

「どうぞ、喉、乾いているでしょう?」

 へえ、と片桐が皮肉そうに肩を竦める。

「聖女が手ずから汲んだ水ですか。御利益がありそうですね」

 そうかもしれない、妙に納得しながら掬って貰った水にそのまま口を付けた。涼やかで非常に清潔そうな澄んだ感覚が口内に広がる。頭が冴えていくような感覚に、クロエは満足げに頷いた。