1話 街の住人

05.女神からの厳命


 何となく殺伐とした会話を繰り広げていた、その時だった。不意に『女神の涙』が神々しく輝きを放ち始めたのは。唐突な異変にクロエは驚いて目を見開き、そしてその目を閉じる。光がダイレクトに眼球へと飛込んで来たからだ。
 しかし、訳知りらしいマリアが隣で驚愕の声を上げる。

「今日だけで……2回目!?」

 恐る恐る目を開くと、先程まで人っ子一人居なかった『女神の涙』の目の前に女性が立っていた。心なしか清廉とした後光を背負っているようにも見えるし、酷く懐かしい気持ちにもなっている。
 棒立ちしているクロエに対し、膝を突いて頭を低くしているマリアがこっそりと補足の説明を加えてくれた。

「クロエ、あの方こそ我々の女神。アルカナディア様でいらっしゃいます」
「女神様」
「ええ。彼女は『神位』。平常時ではその姿を見る事すら叶わない存在です」

 ――信仰の中心、女神・アルカナディア。
 それをすんなりと受け入れたクロエは一つ頷くとマリアの姿勢に倣った。よく分からないが、女神と相対する時には棒立ちしてはいけないらしい。更に周囲を見回してみると、片桐でさえ片膝を突いて頭を垂れていたので間違いなくこの状態が正しい。
 体裁が整ったからか、女神がゆったりと口を開く。余裕と自信、荘厳さに満ち満ちた声音だ。

「――クロエ、よくぞこの街へと辿り着きましたね。時が来るまで、貴方はこの街のさらなる発展に尽力なさい」
「はい」
「そして、聖位・マリア。士位・片桐。貴方達にはクロエの守護を命じます。この街に対し、わたくしは世界に起きている異変の謎を解き明かす事を期待しています」

 思わぬ言葉だったのだろうか。マリアが困惑した顔をする。それを微笑で受け流した女神は更に言葉を紡いだ。

「クロエはわたくしだと思って、その時になるまで守り通すよう、厳命致します。よいですね?」
「あ、はい。勿論でございます」

 マリアが深く頭を下げる。その奥で片桐がこちらをチラと一瞥し、ゆっくりと首を縦に振った。

「……ええ、貴方様からの命。謹んでお受け致します」
「それでは、頼みましたよ」

 士位と聖位から了承を受け取った女神はそのまま光の中へと消えて行った。それだけを伝えに、彼女はこの場へと現れたのだろうか。
 釈然としない気持ちを抱きながらも、その場に立ち上がる。先程まで何の話をしていたのだったか。あまりにも唐突な出来事に、話の内容が飛んでしまった。

 首を傾げていると、マリアが不意に声を発した。

「クロエ、女神様のありがたいお告げも受け取った事ですし、街を歩いてみませんか?」
「街を?」
「ええ。これから貴方が住む街ですので、少しでも親しみが持てればと」
「ありがとう、勿論行く」

 たまには散歩も悪く無いでしょう、と片桐がそう呟く。マリアが困惑したような顔を再度した。

「え? いえ、無理して付いてこなくて結構ですよ。特に貴方の事は誘っていませんし」
「おや、私には散歩も許されないと?」
「そうではなく……。散歩など、貴方は興味が無いと思っての言葉だったのですが。片桐」

 正直な所、と片桐は胡散臭い笑みを浮かべる。

「まあ確かに、散歩などには興味はありませんね。しかも歩き慣れた街の内部など。強いて理由があるとすれば、王とお近づきになりたい。そのくらいでしょうか。親睦は深めて然るべきでしょう、女神様もああ言っていた事ですし」
「貴方から親睦、などという言葉が聞けるとは思いませんでしたよ」
「おや、私も聖職者の端くれですよ。平和が第一ですとも」

 なおも何か言いたげな顔をしていたマリアだったが、気を取り直したのか頭を軽く振った。今覚えた違和感などを消し去るような挙動と言えばそれが近いだろう。

「ともかく、街へ出ましょうか。クロエ」
「分かった」
「貴方に合う靴も必要ですし」