1話 街の住人

02.人が住む街


 その一定のリズムが何であるのかはすぐに分かった。
 ――馬の蹄の音。
 勿論、馬が2匹現れた訳では無く、操っている人間がいる訳で。馬は2頭、人は2人現れた。その2人の中の片方、女性がにこやかな笑みを浮かべて口を開いた。

「お迎えに上がりました。遅くなってしまって申し訳ありません」

 彼女はそう頭を下げると軽やかにひらりと馬から飛び降りる。突然の挙動に驚いた馬がやや暴れるも、手綱を引いてすぐにそれを宥めた。
 もう1人いた男性もゆっくりと馬から降りる。

 トコトコと近づいて来た彼女は上品に自らを指し示すと更に言葉を重ねた。

「私はマリア、この近くにある『街』を維持している者です。どうぞ、よろしく。失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいですか?」

 一瞬だけ戸惑い、聞かれた名前を答える。見様見真似で「よろしく」という何をよろしくするつもりなのか分からない言葉を吐き出した。その意図が伝わったのか、それとも寛大な心で受け流してくれたのか。マリアと名乗った彼女は天使のような笑みを浮かべてみせた。良い人そうだ。
 一方で、マリアと共に現れた男はと言うと全く現状に興味が無いのか空や周囲を見回し独り言のような言葉を溢した。

「良い自然だ。ここは雨が降らないのでしょうか」
「今はそんな事、どうでっていいでしょう!」

 信じられないと言わんばかりにマリアがそう言った。棘のある言葉に驚いて彼女を視ていると、その背後に立っている彼が非常に胡散臭い笑みを浮かべる。そのままこちらへ近づいて来た。

「な、何……?」

 マリアと違って謎の近づき難さがあるその人は手を伸ばせば届く距離まで歩み寄って来ると、目線を合わせるように屈み込んだ。ただし、視線は小さな湖の方を向いている。

「おや、靴を履かれていないようだ」
「靴……。というか、あなたは?」
「ええ、私は片桐。変わった名前でしょう? 遠くから来ましたから」
「え?」

 情報量が多すぎて処理出来なかった。首を傾げていると、やはり胡散臭い笑みを浮かべた男――片桐は犬猫でも持ち上げるようにクロエを持ち上げる。小さな子供を抱っこする挙動に似ているだろう。
 ただし、それは犬猫もしくは小さな子供の話。
 残念な事にクロエは小さな子供というサイズ感を凌駕している。それを軽々と持ち上げた片桐は、自分が乗っていた馬にひょいとクロエを乗せた。
 一部始終を見ていたマリアが訝しげに眉根を寄せる。

「貴方にも気が利くところがあるのですね、片桐」
「足に泥が付いては可哀相でしょう? 後で掃除するのも大変ですし」

 どうやってこの高い鞍に上るのか。再び意外にも軽いフットワークで馬に飛び乗った片桐が後ろから呟く。

「それでは、我々の街に戻りましょうか。貴方も、ボーッとしていないで行きますよ。雨に降られるのは面倒ですので」
「……はい」

 何か言いたげだったマリアもまた、馬に跨がる。そして思い出したように、片桐へと苦言を呈した。

「貴方が彼女の事を見ているつもりですか? 馬から落ちないように、絶対に目を離さないで下さいよ!」
「そんな間抜けな事にはならないでしょうよ。ご心配なく」

 どこかへ連れて行かれるんだな、とぼんやり理解する。危機感を覚えて然るべき状況だが、何故か本能的にこのまま付いていくべきだと脳がそう思っているようだ。抵抗する事無く、クロエは初めて乗る馬に不安を覚えながらも従った。

 ***

 近くの街、というのは本当だったらしく馬を走らせる事無くのんびりと歩かせても、すぐに『街』と思わしき場所に辿り着いた。

 高い壁に覆われており、中は見えない。その高い壁は所々黒ずんでいて年期が入っているように見えた。また、人が出入り出来る門のようなものもあるが、門番などは立っていない。
 これは何を守る為の壁なのだろうか。漠然とした疑問が脳裏を掠める。

「ここは何?」

 流石に意味の分からない光景過ぎたので訊ねる。マリアがやや驚いたような顔をした。彼女は表情のパターンが豊富だ。ただし、片桐は1パターン。はは、と笑っているだけだ。
 予想外の事を聞かれた、とあちらこちらに視線を泳がせていたマリアが、説明文をまとめ終わったのか先程の問いに答える。

「あの壁の中にあるのが『街』です。黒い雨を防ぐ力のある『女神の涙』を中心として人が集まっている区画ですね。私達もあの壁の中に住んでいます」
「死の雨は何?」
「うーん、私も詳しくは分からないのですが……。この世界は針の上に乗っているようなバランスで運営されているそうです。そのバランスが、いつの日からか少しだけ狂ってしまって、暴走機関車のようにそこかしこで魔力が大量に生み出されるようになりました。
 その魔力を濃縮した雨が降るのですが、これを一般的には黒い雨と呼んでいます。見れば分かると思いますが、本当に真っ黒なんですよ」

 ちなみに、と何故か楽しげに片桐が補足の説明をする。

「一般人はこの雨に当たると早くて半日、遅くて2日で死に至りますよ。お陰様で、ここ最近で人口は激減してしまいました」
「じゃあ、私達も雨がに当たると死んでしまうの?」
「いいえ。我々には今、貴方が付いていますから。まあ……恐らく今その理由を説明している暇は無いので、後回しにしましょうか」

 眼前には大きな門が聳え立っている。今から街に入るのだから、長々と何かの説明をしている暇は無いという事だろう。
 どういう原理なのか、門がゆっくりと開く。
 門の隙間から見える景色を指して、ややテンション高くマリアが声を上げる。

「さあ、到着しましたよ! ここが私達の街、カタフィです! ここまで成長させるのに、1年程掛かりました。我々は貴方が来るのをずうっと待っていたんですよ、クロエ様」
「さま……」
「貴方は我々の王様ですから」

 言葉の意味はまるで分からなかったが、それを追求する間もなく見える風景に目を奪われる。先程までの人っ子一人居ない草原が嘘であるかのように行き交う人々。外と比べると活気に溢れていて温度差に目を白黒させる。
 その街の中央、他の家や店に比べてかなり背の高い建物が見える。荘厳な空気をまとった、一風変わった建物だ。