01.女神からのお告げ
荘厳な色取り取りのステンドグラス。絶えず響くパイプオルガンの音色に全く人気の無い長机の列。中央にのみ赤い絨毯が敷かれ、無骨な石造りの床を上手く隠している。石と木材の匂いを強く残した神を奉る神聖な建物――具体的に述べるなら教会の中にて。
聖体に祈りを捧げる神座には淡い光を放つ鉱石のような物が置かれている。その鉱石を背にするようにぽつんと並べられている赤く大きな玉座にも似た椅子。
空の座に対し男女が祈りを捧げていた。彼等は大量にある椅子を全て無視し、レッドカーペットの上、片膝を突いた状態だ。
「――戻りましょうか。いつまでもここに居る訳にも行きませんし」
永遠にも思える静謐を躊躇いなく破ったのは男性の方だった。言うが早いか、組み合わせていた両手を解き、立ち上がる。対し、女性は非難がましい目を向けた。
「行きたいのなら一人で行って下さい。私はまだ残ります」
「おや、仕事の放棄が余程好きと見える。キリキリ働いて貰わなければ困りますねえ……」
「はい? 祈りを捧げるのも立派な仕事――」
彼女が彼へと噛み付いた瞬間だった。それまで沈黙を保っていた、鎮座する鉱石らしき何かが途端に眩しい光を放ったのは。
目も開けていられない程の閃光。それは数十秒後には何事も無く収まる。ただし、先程まで、彼等以外には人影の無かった教会の中に、見知らぬ人影を作って。
それを認めた瞬間、言い争いに興じていた彼女は慌てて膝を突き、頭を垂れる。一方で、ややマイペースな気のある男は僅かに肩を竦めると彼女の行動に倣った。
新しく現れた人影、その足下には本来存在するはずの影が存在していない。それもそのはず、現れた彼女はゆらゆらと背後から差し込む太陽の光を受けて揺らめいている。まるでそう、実態が無いかのように。
「よ、ようこそいらっしゃいました。女神様」
慌てて挨拶の言葉を口にした女性を一瞥した新たな人影――改め、女神と呼ばれたその人物は優美に目を細める。
「ご機嫌よう」
「本日はどうされましたか?」
淡々と訊ねる男に対し、女神は首を横に振った。早急な会話の進行に呆れている事を示しているかのようだ。とはいえ、寛容にそれを許すつもりなのか、彼女は男が望む通りに『用件』とやらを口にする。
「――街の発展に尽力しているようですね」
「ええ、言われるまでもなく」
「わたくしが見てもここ、カタフィは立派な街へと育ちました。多くの人間が住み、生活を営む素晴らしい街へと。わたくしは貴方達の働きに敬意を表し、貴方達に相応しい王を贈る事に致します」
「そちらの空いた席に座らせる人物を見繕って来たと?」
「こら!」
男の軽薄な物言いに、隣で膝を突いていた彼女が肘でその脇腹を小突く。やはり彼は肩を竦めるのみだった。
「良いのです。街から東、雨に犯されていない湖――ええ、そこに新しい王を迎えに行きなさい。それがわたくしからの贈り物です」
ここに来て男女は口を揃え、こう言った。
「承知致しました」
***
両足の膝から下がひんやりと冷たい。頬に当たる柔らかい暖かさと、生ぬるくも命の息吹を感じさせる穏やかな風。それら全てを知覚した瞬間、クロエはパチリと目を覚ました。
とても長い時間眠っていたような気もするし、実は数分だけ目を閉じていたような気もする。
仰向けに寝転んでいたのでまず目に入ったのは太陽の鋭い光だった。思わず目を細め、
片手で日光を遮るように顔を覆う。視界を遮った事で次に気になったのは膝の先。ひんやりとしていて冷たい、何なら寒いくらいだ。
足を動かしてみると水を蹴る感覚がした。ゆっくりと起き上がる。
「……水」
溜め池のような場所に膝まで足が浸かっている。透明度の高い水は池の底まで見えてしまうような錯覚を覚えてしまう程度には透き通っていた。
周囲をゆっくりと見回す。そう深い森などに居る訳ではないようで、木々の隙間からは既に森では無い光景が広がっている事が見て取れる。再度空を見上げると、青い空の隙間から黒い雨雲のようなものが徐々に徐々に迫って来ているのが見えた。
移動しないと雨に降られてしまう。そう思い、移動を目論んだが靴を履いていない事に気付き、思いとどまる。残念な事に濡れている足を拭けそうな物が、自分の着ている衣服程度しかない。このまま水から足を引き抜いて立ち上がろうものなら、足の裏にたくさんの土が付いてしまう事だろう。
仕方なく、何故自分はここにいるのかを考えてみる。
――みるが、考えれば考える程、どうしてここにたった一人でぽつんと寝転んでいたのかの理由については思い付かなかった。どころか、ここへ来るまでに何をしていたのかも全く思い出せない。
そもそも、ここへ来る前の事など切り取られた本のページよろしく、存在しないのではないだろうか。
寝起きのせいか、考えが上手くまとまらない。
ここに座り込んでいでもどうしようもないし、移動した方が良いだろうか。
はっきりしない思考の中、そう思案しているクロエの耳に初めて聞くような物音が聞こえてきた。一定のリズムを繰り返す何かが――2つ。少しずつタイミングがずれているのか、二重奏で聞こえてくる。