6話 アルケミストの恋愛事情

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 そんな師匠を尻目に、メイヴィスは縋るような思いでもう一度だけ訊ねた。妬まれていようが何をしようが、結局の所は彼がそうであったようにメイヴィスにとっても師であり3年を共に過ごした間柄なのだ。

「――本当に自首してくださる気にはならないんですね?」
「ならない。俺はシーザーを裏切ったりしない」

 シーザー。コゼットにおける現王にして、諸悪の根源。
 振舞いからしてオーウェンと陛下は気の置けない仲なのかもしれない。

「下がれ、メヴィ」

 悶々と今の言葉を反芻していると、今日最高に険しい顔をしたアロイスからやや乱暴に腕を掴まれ、椅子から立たされる。むしろこちら側から仕掛けそうな勢いに、少し狼狽えた様子のオーウェンも椅子を蹴飛ばして立ち上がった。
 師匠と護衛、腹の探り合いは一瞬だ。
 元騎士の威圧感にたじろいだらしいオーウェンが懐から紙片を2枚取り出す。ここ最近、工房に籠もりきりで散々見てきた文字列の描かれたページ。

「ページ!」
「もうこれが何なのか分かってるよな。うちの騎士をとっ捕まえて聞き出しているはずだ」

 そう言った師匠の表情は無だった。邪魔者を消せて喜んでいる風でも、或いは弟子に化け物を差し向ける事になって悲しんでいる風でもない。
 どうしたって意図の読めないそれを考える暇もなく、ページから創られた魔物が飛び出してくる。もう何度も見た、お馴染みのウタカタとプロバカティオだ。植物が発する甘い芳香が鼻孔を擽る。

 臨戦態勢に入ったアロイスによって、部屋の隅にまで後退させられた。だが、今回彼の出番は無いだろう。この時の為にページを解析したのだ。
 懐から丁寧に折り畳んであったページを取り出す。師匠の持つそれはかなりボロボロだが、こちらのページは新品同然の輝きを放っている。

「アロイスさん、私が対応します!」
「任せた」

 軽く魔力を操作し、ページを機能させる。刻まれた文字列が金色の光を放ったと同時、それらがページに吸い込まれて、跡形も無くなる。
 ここまで効果的だとは思わなかったが、これさえあれば実質神魔物を無力化できるだろう。とんでもない物を発明してしまった、と今更ながら実感する。

「なに……!?」
「師匠! この通り、もう神魔物は恐くありません! 自首しましょう」

 無駄だとは知りつつも言葉を重ねる。が、案の定メイヴィスの言葉など彼には欠片も届いていないようだった。

「はっ、ははは……メヴィ、お前やっぱり天才だよ。お前を見てるとさ、俺がやってる事がぜーんぶ馬鹿馬鹿しくなってくるんだ」

 一頻り不気味な笑い声を上げたオーウェンが不意にぴたりとその動きを止める。ややあって、腰のベルトからロッドを抜き取った。まだまだ抵抗するつもり満々らしい。

 師匠が慣れた手付きでロッドに仕込まれた術式を起動する。手際はまさに魔導師のそれであり、少なくとも戦闘センスは自分よりずっと優れているだろうな、とメイヴィスは現実逃避じみた思考に没頭した。
 一方で攻撃魔法を前にしたアロイスはその手に短剣を持っている。サブウェポンというやつなのだろう。以前も手にしているのを見た事がある。流石に室内では大剣を振り回すのに適さないのは流石に理解できた。

 こちらも応戦する気満々のアロイスを前にメイヴィスは注意するよう口を挟む。

「アロイスさん、錬金術師は身を守る為の防御結界アイテムを必ず所持しています! 気を付けてください!」
「ああ、分かっているさ」

 魔法を使うにせよ、アイテムを使うにせよ、敵があまりにも近いと効力は発揮出来ない。自分が巻き込まれる可能性だってある他、そもそも接近されたらアイテムを使う暇が無いからだ。
 なので錬金術師の立ち回りは出来るだけ自衛の術を持っておく、というシンプル極まりないものだ。それはオーウェンも同じである。

 ――だが所詮は戦闘職ではない者の付け焼き刃。
 本職が戦闘の騎士サマの手腕と比べればあまりにもお粗末。短剣を握り締めたアロイスが弾丸のようにオーウェンへ肉薄する。
 防御結界がある、おおよその場所を把握しているのだろうか? アロイスは目に見えない壁に阻まれる前に短剣を振るった。ドンピシャで切っ先が不可視の壁に突き刺さる。

「これか」

 酷く冷静にそう言った彼は次の瞬間、手慣れた様子で簡易的な魔法を発動させた。一瞬見えた術式を精査するに、恐らくは採掘に使われるような形の無い衝撃を発する魔法。初級も初級で誰でも原理さえ分かれば使える程度のそれだ。
 だが、物は使いよう。
 アロイスが握り締めていた短剣の柄辺りに炸裂したそれは、鋭い刃先を防壁の内側へと押し込んだ。押し込んだ、なんて生易しい表現では無い。無理矢理にねじ込んだとでも言えばいいだろうか。

 如何に初級の魔法と言えど、人体に当たれば骨の一本や二本は持って行かれたっておかしくはないというのに、荒技にも程がある。
 面ではなく点での衝撃。実は防壁・結界系の壁は点の攻撃に弱い。全面を攻撃するのではなく、風船を針で割るかのような破壊方法が一般的だ。
 文字通り、風船や泡が弾けるかのように師匠を守っていた結界が消える。薄い膜が大気に溶ける様がよく分かった。結界の内側にいる人間にとってみれば絶望的な光景である。