06.いつも通り
受付でチェックインを済ませ、取っていた部屋へ移動する。室内は閑散としていて、お話をするのに必要な道具だけがポツンと揃っていた。それはボードであったり、簡素なメモ帳とペンであったり。それ以外の物は何もない。
ついでに、どうやら師匠より先に到着したようだった。待ち合わせの時間まで、後十数分ある。
――何だか部屋に着いた途端、緊張してきた。
震える吐息を吐き出す。まさか親密な相手と会うだけのはずなのに、こんなにも背筋を凍らせる日が来るとは。人生とは分からないものだ。
そんなメイヴィスの緊張感を汲んだのか、朗らかな笑みを浮かべたアロイスが不意に口を開く。雇い主のメンタルケアまで忘れない、護衛の鑑だ。
「お前はオーウェン殿と長い付き合いだそうだが、どんな生活を送ってきたんだ?」
「私と師匠についてですか? うーん、そうですね。数年間、一緒に行動していました。当時の私はまだまだずっと子供で、親代わりでもあったと思います」
「そういえば、ご両親は?」
「さあ。物心ついた時から施設育ちなので何とも……。珍しい事では無いでしょう、あまり気にしないで下さいね」
どんな理由であれ、孤児はあまり珍しくない。町から一歩でも外に出れば魔物の巣窟だし、人間が住まう町の中でさえ治安が悪い場所もある。親がいない子供、逆もまたちっとも珍しい事ではなかった。
無論、どこぞの貴族であったり、代々騎士を輩出する家系で家系図に載る全員がムキムキだとかそんな事情があれば話は別だが。
長らく騎士として過ごして来たはずのアロイスにも、そういった状況には理解があったのか首を縦に振っただけで深くは突っ込まなかった。
「では、オーウェン殿からは錬金術以外にも色々な知識を教えられた訳だな」
「そうですね。なので、出来れば穏便に……今回の件は自首して欲しいなと。あんまり言いたくは無いですけど、王族の陰謀に巻き込まれているかもしれませんし」
「……そうだな」
首謀者である可能性が高いのは重々承知していたし、アロイスもそれは分かっていたのだろうがメイヴィスのお気楽な発言に呆れた様子は無い。そもそも心根が優しい人なので、小娘を刺激するような発言を控えたのだろうが。
――と、話をしているうちに待ち合わせ時間が迫っていた。コンコン、と慌てたようなノック音が耳朶を打つ。
困惑する程、師匠らしく。こちらの返答など聞かずにドアが開け放たれる。やはり彼は彼らしいまま、へらりと笑った。
「ごめんごめーん。そんなに早く来るとは思わなくて。待たせて悪かった!」
「いえ、この間ぶりです。師匠」
「ああうん、久しぶり」
ひらひらと手を振ったオーウェンは空いている椅子に座る。あまりにも警戒心の無い様子に毒気が抜かれそうだ。
「あ、師匠。こちら私の護衛をしてくださっているアロイスさんです」
「前にギルドで会った人だな。うちのメヴィが世話になってる」
師匠の軽口に対し、椅子から立ち上がって控えるアロイスは短く恭しい挨拶だけを返した。この場で最も緊張感に溢れているのは騎士サマだけだ。流石は護衛慣れしているというか、安心感が違う。
話に切り込んできたのは、本来ならば話をされるのを嫌がる立場であるはずのオーウェンだった。あっけらかんとして、何も非が無いかのように首を傾げている。
「それで、話って何? この間会った時に言っておいてくれよ、俺だって暇じゃ無いんだぞ」
師匠の問いに応じるように、メイヴィスは神魔物のページについて訊ねた。どこまで話して良いのか分からないので、所々省略してだ。アロイスは何も言って来なかったので、不味い話はしていないと信じたい。
「――と、言う訳なんですけど。師匠、あんまりこんな事言いたく無いんですけど神魔物の一件に関わっていますよね?」
断定的な言葉を選んだにも関わらず、メイヴィスの語尾は震えていた。迷いがあるのは誰が見ても明らかだ。背後に立っていた騎士サマが落ち着かせるように背中を柔く叩いてくれる。もうこれ、護衛というか保護者のそれだ。
オーウェンの様子を伺う。その顔にはいつも通りのヘラヘラしていて――しかし、何かが圧倒的に違う笑みが浮かんでいる。
一瞬の逡巡。その後に、師匠は天井を仰いだ。
「――そうだろうとは思ってたが、やっぱりバレてんだな」
「え」
「まあ、あの騎士……ヘル何とかが戻ってこない時点で察してはいたが。何驚いた顔してんだよ。分かってて俺をここに呼び出したんだろ、メヴィ」
師匠である男と目が合う。にたり、と微笑まれた。知っているのに全然知らないような顔を目前にして、手足が硬直する。
が、それも長くは続かなかった。時間にして数秒、或いはそれ以下。
後ろに控えていたはずのアロイスが、メイヴィスの座っている椅子ごと引いて強制的に師匠との距離が開く。且つ、机と椅子の間に空いた空間に騎士がその身をねじ込んだ。
今メイヴィスとオーウェンの間には会議用の大きな机に加え、アロイスという壁がある状態だ。
「あ、アロイスさん!?」
「開き直りは暴力の合図だ。用心しろ、メヴィ」
そう言った護衛の声は今まで聞いた何よりも固かった。