8話 真夜中の館

07.製作者のやる気


 一同の準備が整った事を察したのか、イアンが小さく頷く。

「じゃあ、始めましょう」

 驚くべき事にこの小さな魔道士は真の意味で天才だった。詠唱無く術式を編み、紡ぎ、巨大な時計盤にも似た独特の幾何学模様を恐ろしい速さで形成していく。やがて完成した術式は本物の時計盤のように、9時を指し示した。
 よくよく見てみると良く分からない複雑過ぎる術式は、別の術式と二重構造になっている。こんな大層なもの、自分に上手く扱えるのだろうか。一抹の不安が脳裏を過ぎった。

「ほ、本当に天才なんだね。イアンちゃん……」
「心配する事無いわ、メヴィ。貴方も別分野でかなりの天才よ」
「そういう話じゃ無いんですけどね、ドレディさん」

 程なくして、術式が完成したのか。目を閉じて集中していたイアンの可愛らしい双眸が開かれる。

「出来ました」

 そうは言われても、生憎と地下にいる為変わった様子は分からない。が、ここでアロイスとウィルドレディア、双方からフォローのようなものが入った。

「ああ、確かに夜の気配だな」
「流れる魔力も夜特有の流れね。イアンの言う通り、完成しているわ」
「つまり、時間帯がここだけ午後9時になった、という訳ですね。地下だからちょっと私には分かりませんけど」

 イアンの状態を観察する。持っていた杖はその場に固定されており、動く事は出来ないようだ。完成した、と宣言しはしたが、その後は無言。魔法の維持に全神経を使っているものと思われる。
 早く作業を開始しなければ。
 少しでも小さな魔道士の負担を軽減する為、作業の開始をウィルドレィデアに告げる。

「こっちも始めましょう、ドレディさん!」
「ええ、そうね」

 ローブから取り出した、日頃魔法を封じ込めるのに使っているガラス玉を魔女に手渡す。これにより、イアンが起動してくれた範囲結界を落とし込み、形式上は誰にでも発動出来るようにするのだ。
 とはいえ、別の魔法で散々やって来た作業。ウィルドレディアは今更使用方法を訊ねる事無くその魔法のガラス玉を起動し、素早く範囲結界の魔法をガラス玉の中に落とし込んだ。
 それにより、イアンの作っていた術式が掻き消え、代わりにガラス玉の中にそれが繁栄される。

「魔法が吸い込まれましたね。戦闘にも使えそうですよ、それ」

 そう言ったイアンが長距離走を完走した後のように深く息を吐き、杖を仕舞う。一方で満足げな顔をしたウィルドレディアは手の中にある貴重な範囲結界を納めたガラス玉を弄んでいた。
 ほう、とずっと高みの見物を決め込んでいたアロイスが目を眇める。

「美しいものだな。あの術式がそのままこの小さなガラス玉の中に吸収されたのか」
「うふふ。今回の術式は特徴的だったものね」

 見れば、ガラス玉の中には絶えず9時を指し続ける金色の時計盤と、複雑な幾何学模様を描く二重構造の術式が小さく納められている。しかも、ガラス玉の中には小さな夜空が広がり、手の平サイズの夜の風景のようだ。
 思わず見取れていると、不意に製作者が口を開く。それは注意事項だった。

「私の見たところ、収納した魔法を再起動するのに魔力を消費するアイテムのようですね」
「良く分かったね。まあ、作った人程ではないけど再起動する時もそれなりに魔力を要求されるかな」
「メヴィさんの魔力では保って1秒と言ったところなので、失敗した場合はまた来て下さい。私はこの家に居ますから」
「あ、ありがとう! 必ず成功させるから!」

 イアンはこちらをじっと見ている。どうやらガラス玉のマジック・アイテムが気になるらしい。これの製法はそう難しくは無いので、今度幾つか進呈しよう。今日のお礼に。

 ***

 地下の片付けを終え、屋敷を退去する事になった。いつまでも人様の家に上がり込む訳にはいかない。イアンが屋敷の外まで送ってくれたのだが、不意にその足を止めた。

「そうだ、メヴィさん」
「どうしたの? イアンちゃん」
「これ。活用させていただいています」

 そう言って彼女がポケットから取り出したのは、以前のオーダーで納品したマジック・アイテム《幻想の庭》だった。召喚獣を簡単に出し入れできる、小さな小さなお庭。文字通り手の平サイズのそれをその小さな手に乗せたイアンは、メイヴィスへと手招きした。

「なになに?」

 ――瞬間。
 何の合図もなく《幻想の庭》が起動し、眩しい光と共にイアンの隣に巨大な獣が出現する。ありとあらゆる動物を合成して作られた凶暴な合成獣――キメラだ。

「うわっ!?」
「この通り、うちの子も新しいお庭で喜んでいます」

 そう言うと、イアンは今度はそのキメラをあっさり庭の中に仕舞った。完璧に使いこなしているようで何よりだ。

 イアンはこちらを見ると、その無表情に――確かに年相応の、可愛らしい笑みを浮かべた。

「ありがとう、使い勝手がとても良いです。また何かお願いするかもしれません」
「い、いやあ。そう言われると製作者冥利に尽きるかなあ」

 ――もっと頑張ろう。次の真夜中の館も。
 イアンの感想により、製作者のやる気がアップした。