8話 真夜中の館

01.本日の予定:人捜し


 朝の空気を肺一杯に吸い込む。現在の時刻は午前8時。早すぎず、遅すぎない朝の時間帯だ。基本的にメイヴィスの起きる時間はまちまちで、今日は偶然にも早起きしただけの話なのだが。
 ユリアナの店は9時開店なので、まだシャッターは固く閉ざされている。あと1時間もしない内に開くのだが、それでも開店前の店内と言うのは少しばかり新鮮だ。

 ただし、非常に珍しい事に必ず自分より先に起き店を眺めているアロイスの姿が見当たらない。ユリアナに話を聞いたところ、彼は毎日同じ時間――7時半には店に姿を見せるとの事。今日は珍しく姿を見掛けないが、出て行った人も居ないので部屋に居るのでは無いかと言われてしまった。

 放っておくのが一番なのだが、何となく早起きした事を報告しに行きたい気分になったメイヴィスは、やはり計画性無くアロイスの自室へと向かう。

「……いや、1人の時間を邪魔していいのかな……」

 ドアの前で一瞬だけそう考えたが、気を取り直す。特に用事が無い事を伝えれば、後は自由に過ごすはずだ。震える手を押さえつけ、ドアを力強くノックする。

「わっ!?」

 ノックしたその瞬間にはアロイスが出て来てしまったので、引き攣った悲鳴が漏れた。メイヴィスの悲鳴に驚いた騎士サマが目を丸くする。

「すまん。ずっとドアの前に居たので、急ぎの用事かと。その様子だと、違うようだな」
「すっ、すいません……。特に用事なんて無かったんですけど、今日はまだ店に顔を出していないとの事だったので、様子を見に……」
「そうだったか。あまり俺の事は気にしなくて問題無いぞ。それに、今下りようと思っていたところだった」

 そう呟いたアロイスは本当にそろそろ店へ下りるつもりだったのだろう。既に準備は万端のようだった。
 廊下にのっそりと彼が出て来た為に、一瞬だけ簡素な部屋の中が見える。必要最低限の生活用品、その中の机。机の上に白い封筒が置いてある風景が、何故だか鮮明に脳裏に焼き付いた。
 ――手紙……。出すのかな? それとも、受け取った物かな?

「メヴィ、今日は何をする予定だ?」
「え?」

 思わず聞き返すと苦笑されてしまった。もう1回、アロイスが同じ問いを口にする。二度目でようやく何を聞かれているのか正しく理解し、今日の予定について逡巡。本当に何も取り決めてはいなかったが、決めていないだけでやらなければならない事は山ほどある。

「そ、うですね……。そろそろ大本命の『真夜中の館』作りを始めようかとは思っています。最初に依頼して来たフィリップさんの事、蔑ろにしすぎですしね」

 言いながら、既に頭の中は錬金術について思いを馳せる。
 先日、ミズアメタケに含まれるリールタールという物質でいとも簡単にミスリルを溶かせる事が判明した。範囲結界が肝となる真夜中の館作成にあたり、魔力を唯一増幅出来る性能を持つミスリルは大変重要なファクターとなるだろう。
 つまり、ミスリルの使用は必須。これに乱反射の性質を組み合わせれば、半永久的に起動する結界を作成する事も可能なのではないだろうか。
 とはいえ、あくまで仮説なので実際に作業に取り掛かってみないと、問題点も何も分からない。失敗するようであれば別の方法、別の工程を考える必要性が出て来る。
 至った考えを促すように、アロイスが不意に口を開いた。

「具体的に、何かアイディアがあるのか? 方法が無いから足を止めているものと思っていたが」
「――そうですね。ただ、もう既に問題がある事に気付きました。範囲結界という、最上級結界魔法を扱える人物に心当たりが無いって事です」
「それならば俺も聞いた事があるな。騎士には縁遠い魔法だ」

 莫大な魔力を消費する範囲結界。最低でも1分、出来れば10分は維持して貰いたい次第だ。

「フィリップ殿では無理か?」
「分からないです。まだ朝なので、夜までに候補が見つからなければ相談はしてみます」

 フィリップの能力は未知数だ。高い魔力を持っている事は伺えるが、範囲結界を維持出来る程だとは思えない。というか、この世にあの結界を10分保たせられる人間なんて多分どこを捜したって居ない。
 では、と何かを提案するようにアロイスが柔らかく微笑む。悩む子供に言い聞かせる大人のような構図だ。

「捜しに行くとしよう。そうだな、場所は――特に当りは無いので、お前に任せるが」
「えっ、正気ですか?」

 アテが無いのに捜しに行くと言うのか。どことなく浮き足立った言葉に混乱する。割と計画にシビアなところがある彼から、そんなふわっふわしたお言葉を頂けるとは。何だかちょっと上の空なのでは?

 しかし、居なければ捜しに行かなければならないというのは真理ではある。
 ここで候補が更に追加された。
 まず1人目、我等がスポンサーことジャック。彼なら10分は無理でも必要時間は保たせてくれそうだ。
 そして2人目がその友人、ルーファス。イアンの師匠と言うくらいだ。結界を張る事そのものは可能だろう。多分。

「ジャックさんと、ルーファスさんなんてどうでしょうか。どこに居るのかは知りませんけど……」
「この間会ったばかりだ。まだここに居ると思うぞ。捜してみるとしよう」

 早速、情報収集の為町へ向かうことにした。