7話 獣達の庭園

09.獣達の庭園


 それにしても、今更だが人の家だと言うのにスポンサー様はいつもいらっしゃるな。イアンという子供が居るのだから恐らく配偶者である奥様も居るに違いないのに、姿を見掛けた事が無い。単身赴任中なのだろうか。
 首を傾げながらも、家庭事情に首を突っ込むべきではないと頭を切り替える。明らかに暇を持て余していたであろう謎の面子の視線は、今部屋へ入ってきた自分へと向けられていた。

「あのぅ、実はあれ、イアンちゃんに頼まれてた方の依頼が終わったんですけど……。ジャックさんに持たせて構いませんか?」
「ああ、自由に召喚獣を出し入れ可能なアイテムの話か。意外と早かったな。勿論、私が責任を持ってイアンに届けよう」

 言いながらスポンサー様は長い足を組み替える。何て優美な動作なのだろうか、一瞬だけ目と思考を奪われた。
 しかし、ジャックの今良い事を思い付いたと言わんばかりの発言で我に返る。

「メイヴィス。お前は確か召喚術を扱えないのだったな」
「え? ええ、はい」
「であれば、アイテムの中身も恐らくは空だろう。折角の土産が空っぽでは味気ない。私が中身を足してやるとしよう」
「えっ」

 言い方はやんわりとしているが、不良品を掴まされていないか確認しようとでもしているのだろうか。正直、設計図通りに作っただけで本当に生き物の出し入れが可能なのかは試していない。
 恐る恐る、手を差し出してくるスポンサー様の白く美しい手の平に作ったばかりのアイテムを乗せた。

 ここで館の主、フィリップが眉根を寄せる。というのも、アイテムを手にしたジャックがその場から微動だにしなかったからだ。

「まさか、そこでやるつもりではないだろうな。下手すると床が抜けるのだが」
「そう大きな生き物ではないさ。床が抜ける心配は無い」
「カーバンクルか何かを喚ぶつもりか? 貴様の娘は、怪我などおいそれとするような子ではないだろうに」

 意味深な笑みを浮かべたジャックが編んでいた術式を完成させる。奇しくもそれは、今まで散々参考にさせて貰ったスタンダードな召喚術そのものだった。
 ただし、現れた召喚獣は全く見覚えの無いものだ。
 形容するのならば、鈍い金色の雲。実体は無く、所在なさげにふわふわと漂うのみで生物であるのかどうかも疑わしい。視た事の無い魔物だ――

「あ」

 その魔物の中に、コゼットの診療所が写ったのを視た。クエストに行って、ちょっとした怪我をした時によく使わせて貰った診療所。
 同時に、結構重度の火傷を負っていた事を思い出す。そうだった、一段落したら病院で手を診て貰わなければ。

 取り留めの無い事を考えていると、ジャックがアイテム《幻想の庭》を起動。その中に見た事も無い生物は吸い込まれて消えていった。

「良い使い心地だ。娘も気に入るだろう。メイヴィス、今は残念ながら持ち合わせが無い。報酬は後日で良いだろうか?」
「あっはい、大丈夫です」
「お前が下宿している店に届けさせる。移動する時には報酬を受け取ってから移動しろ」

 はい、と返事をした直後、それまで黙っていたチェスターが念を押すように不意に呟いた。

「それは良いが、お前は負傷している。早めに医療施設へ行く事だな」
「どうかしたのか?」

 訊ねてくる護衛騎士に、メイヴィスは曖昧な笑みを手向けた。

「いやちょっと、液が跳ねて火傷を」
「そうか。大事にならなければいいが。では、フィリップ殿。俺はメヴィを送るので、これで失礼する」

 はいはい、と最近やや適当になってきた館の主からやはり適当この上無い返事を貰い、外へ。さて、次は病院へ行かなければ。

 ***

 流石に病院の待ち時間にアロイスを付き合わせる訳にはいかなかったし、魔道士待遇で順番がかなり前の方になったので、待つ事無く診療を受ける事が出来た。この国、本当に大丈夫なのだろうか。

 包帯がグルグル巻きにされている手を見、医者は痛ましそうな顔をしている。

「これはどうされたのですか?」
「あっ、その、錬金術の液が跳ねてしまいまして。高温だったので、火傷しました」
「そうですか……。この包帯、患部にくっついていたりはしませんよね?」
「一応、連れの魔道士に治癒魔法も掛けて貰ったんですけど……。痛みは感じませんね」

 医者が難しそうに唸った。そういえば、問題無く手を動かせてはいるが、感覚が無いなんて相当危険な状態なのではないだろうか。息を呑み、ゆっくりと外されていく包帯を見つめる。

「……あれ?」

 疑問の声を上げたのは自分も医者も同時だった。
 最後に手を覆っていた包帯がはらり、と剥がされた瞬間。そこにあったのは傷一つ無い、ただの自分自身の手だったからだ。
 困惑していた医者だったが、次の瞬間には辻褄を合わせるかのように軽く笑う。

「お連れの魔道士殿は、随分と腕の良い治癒師のようだ」
「……そ、そうですね」

 ――一つだけ、目の前の現象で思い当たる事がある。
 思い出すのはあの美しくも恐ろしい色を讃えた、人魚の涙だ。

 それに思い当たった瞬間、引き攣った笑い声を上げたメイヴィスはゾッとした気持ちを無理矢理抑え込んだ。