真夏のホラー企画

02:道


 午後2時を少し回ったくらいの時間だ。
 一人で街にやって来たブラッドはメモに目を落としながら頼まれていた物を買い集めていた。俗に言うお遣いである。本当はエレインの役目だったのだが、薪割りを終えて室内に戻ってみるとソファに三角座りをして震えていた為代わりに買い出しへ行く事になった。何が原因であんなに怯えていたのかは不明瞭である。訳の分からない言葉を繰り返しては、今は外に出たく無いの一点張り。さすがに様子がおかしかったので屋敷に残った方が良いとも思ったがチェスターにその役目は譲った。それに、ファウストもいるだろうし大丈夫だろう。

「あ」

 紙袋に詰め込まれていたリンゴが1つ。転がって行った。そんな一杯に入れた記憶は無いのだが何故か落としてしまったのだ。荷物を水平に持ったままリンゴを追い掛けて電柱と塀の間を通り抜けた。
 そこでようやくリンゴを捕まえる。軽く埃を払い、袋へ入れた。一応リンゴを剥く時はよく洗うように言っておかなければ。

「ん・・・?」

 何か違和感を覚えた。背筋を奔る悪寒に疑問を覚えつつどうしてだか身長に周囲を見回す。先程まで雑然としていた通りは静まり返り、道行く人々の姿は無い。どこか止まった、気怠いような空気は暑さのせいではないだろう。空気そのものはいっそ肌寒いくらいだ。
 真夜中ならいざ知らず、真昼の往来に人がいないなんて事はあるはずがない。寒いのに背筋にじっとりと汗を掻きながらブラッドはゆっくりと歩を進めた。
 ――視線を感じる。じっとりとした、睨み付けるような視線だ。それに殺意や敵意は含まれていないが、何か観察されているような生温い視線。勿論、周囲に人影は無い。ではどこから見られている?視界に入る範囲内に誰もいないのならば。
 ピタリ、足が止まった。人がいなくなった店の中には当然ながら人の姿などない。ゆっくりと視線を上へ上へと滑らせていく。

「うっ・・・!?」

 目、目、目目、目目目目目目目――
 店の上、窓硝子から除くたくさんの双眸。一人や二人ではない。数える気すら起きなくなるような大量の視線がブラッドへと向けられていた。それが人間のものであるのか、判別は出来ない。斜めの角度でよくは見えないが、視界に入るそれはスライムのように真っ黒でとても人の形はしていないからだ。
 しかし、ビタンという叩き付けるような音でブラッドはそれが人であることを思い知る。窓硝子にくっきりと手形が浮かんだ。
 消えていた音が戻って来る。否、ずっと聞こえていたのかもしれない。気付かなかっただけで。
 熱い熱い熱い、助けて助けて助けて助けて――

「何だこれ・・・?」

 耳にひりつくような呻き声。助けてあげたいのは山々なのだが、如何せん彼等彼女等が生きているようにはとても見えない。何より、その場からまったく足が動かないでいる。どうしよう、どうすればいいのだろう。どうやったらいつもの往来へ戻れるのだろうか。
 不意に腕を掴まれた。小さく悲鳴をあげてそれを振り解く。半狂乱になりつつやられる前にやる、の原理で拳を振り上げた。

「あ・・・?」
「熱中症か。それとも何か視たのか」

 音が戻って来る。行き交う人々の賑やかな話し声、店の主人が張り上げるセール中という旨のアナウンス。それはいつもと変わらない街の光景だった。
 しかしその風景の中に見知った彼が立っている。屋敷の主人であり、恐らくこの世で最も楯突いてはいけない存在であるその人は緩やかに首を振ると、聞いてもいないのにこう言った。

「およそ21年前の話だ。大火事があった。確か、この時期だったように記憶している」
「そう、か」
「戻るぞ」

 そういえば、ファウストがここにいると言う事はあの屋敷にはチェスターとエレインしかいないのだろうか。