真夏のホラー企画

01:背後


 静かだと思った。何が静かなのか、そう考えればすぐに合点がいく。蝉の声が聞こえない。うだるような暑さのせいかミンミンだのジジジジだのとうるさい蝉達の声は今、完全に形を潜めている。
 台所に立ったエレインは鳴かない蝉の声に耳を傾けながら昼食の食器を洗っていた。昼は素麺だったが、4人分の食器を洗浄するというのは要領の悪いエレインにはそれなりの時間を有する作業である。いつもならブラッドが手伝いを申し出てくれるのだが、生憎と別の仕事をしている為、手伝ってはくれないだろう。
 ――ああ、面倒臭いなぁ。冷房きき過ぎじゃないかな。何だか肌寒いような気がする。
 仕事を放り出し、街に買い物にでも行きたい。

「かわろうか」

 不意に背後からそんな声が聞こえた。呑気に皿を洗いながら応える。

「いえ、もう終わります。それより薪割はもういいんですか?」

 世間話の体で放った問い掛けに返事は無い。おかしいな、ブラッドだと思うのだが間違ってファウストに薪割の有無を尋ねてしまっただろうか。だとしたら目も合わさずに屋敷の主人に口を利いてしまった事になる。チェスターに見つかれば大目玉だ。
 蛇口から流れる水を止める。不意に洗って立てかけてあったステンレス製のトレーが目に入った。確か、チェスターが数日前に使っていた大きめのトレーだ。が、エレインの視線はトレーそのものではなく、その美しい表面に映った――

「いきたいのか」

 振り返ろうとした身体の動きが止まる。震える吐息を吐き出し、真っ直ぐ前を見たままエレインは先の問いに答えた。

「いきたいです」

 かわろうか――替わろうか。
 いきたいのか――生きたいのか。
 背後の気配が消えるのと同時、トレーに映っていた『それ』も消えた。音を立てないように、そっと振り返る。
 何も居ない、いつも通りの風景が広がるリビング。鼓膜に蝉のけたたましい鳴き声が反響して、ようやくエレインは止めていた息を吐き出した。
 それで、結局あれは何だったのか。