第1話

3-5


「エレインの言を取ろう」
「・・・は?」

 出た間抜けな声はブラッド自身のものだ。それもそのはず、絶対の決定権を有すファウストはエレインの意見を採るとそう言った。それはつまり生かしておく代わりにここで働けと言っている他に無い。
 視線を動かし、恐らく決定に一番反抗意識を持っているであろうチェスターの顔色を伺う。執拗に暗殺者の始末を希望していた彼。

「了解しました。なら、そのように手配致しましょう」

 にこやかにそう言ってのけた。それが上辺だけであるのか定かではないが、主人の意に沿うという意思表明そのものは今、聞き届けた。

「エレインが苦労している。お前には今から最低限の仕事を覚えて貰わねばならない。不満があるのなら、聞きはしよう」

 正気か、と内心で変な汗を掻いている間にも話は進む。ファウストの問い掛けに対し、首を縦に振った。とにかく命あっての物種。それを拒みはしないし、言葉のニュアンスからして不満を言って聞き届けられる気配は無い。聞きはする、それは言葉通りの意味である。
 そうだ、と不意にチェスターが薄く嗤った。背筋に悪寒が走る。

「以前、バイトという名目でやって来た者は皆3日を待たず辞めてしまったが・・・今回は担保もある。まさか根を上げる事も無い、そうだろう?ブラッド」
「チェスターさんの愛の鞭がただの鞭だからじゃないですか?だってチェスターさん、身内以外に厳し過ぎますよぅ」
「信頼とは共に苦楽を乗り越えてこそ生まれるもの。そうは思わないか、エレイン」

 はぁ、とファウストが小さく溜息を吐いた。そのまま空のカップを流しに置き、すたすたと2階へ上がって行く。
 主人がいなくなったのを見送り、パンパンと給仕長は手を叩いた。

「おら、お前等も解散だ。各々部屋へ帰れ。エレインは流しの片付けを忘れるなよ」
「お、お前・・・正気か?本当に俺を下働きとして使おうと?」
「何だ不満か?」

 眇められた目。嫌味が十二分に込められているそれだったが、少し前まで漂っていた殺意は伺えない。本当に矛先を収めたのだ、信じられないが。

「フン。現状を信じられないのであれば構わないが、おかしな行動を取るようだったら命は無いと思え。私はいつだってお前を始末する大義名分を探しているのだから」
「チェスターさーん、そんなんだから新人がすぐに辞めちゃうんですよぅ」

 どうやら予備情報以上に奇怪な屋敷らしい。そもそも、3日で新人が辞める程の労働環境だと言うのに人間の小娘であるエレインが当然のように順応している上、違和感が無いのも今思えばおかしいのではないだろうか。
 早くも変な仕事をやらされるのではないか、とブラッドはこっそり溜息を吐いた。取り敢えず、手始めにこのミニティータイムの片付けを手伝ってやろうか。

 ***

 深夜3時。
 全員が自室へ帰り、今日の活動を終えた時間を見計らってチェスターはリビングへ再び降りて来ていた。流しをチェックするとちゃんと片付けられている。さっきの今でブラッドが再び面倒事を起こすとは思えないが、戦闘の余韻が抜け切らない。アドレナリンのせいか眠くならないのだ。
 冴えきった頭で考える。
 刺客を差し向けて来たのが誰なのかは分かる。というか、候補が数名いる。しかし、何故このタイミングで、何の動機なのかが定かではない。本来狙われるべきはファウストではなく、もっと別の――

「チェスター」
「ッ!?あれ?部屋に戻られたのでは?何かございましたか?」

 不意に声を掛けられて肩が跳ねる。屋敷で給仕を始めて随分と時間が経つが、未だに主人の足音や気配だけは拾えないのだ。
 ともあれ、何故か自室から出て来たファウストは神妙な面持ちのまま、正面のソファに腰掛けた。一体何だと言うのだろうか。わざわざ起きて来るくらいだから重要な話なのだろうが。

「・・・ブラッドの面倒は、お前が見るのか?」
「・・・・・・はい?ブラッドの、面倒・・・?」
「ああ。彼は境遇上、仕事を辞める事が出来ない。お前があまり厳しく当たるとストレスを溜め込んでしまうのではないか?」
「あの、あの、ファウスト様?確かにブラッドは人外ですが、犬や猫ではないのでその辺りは自分で調整すると思いますけど・・・まあ、私も暇ではありませんし、彼の事を言い出しっぺのエレインに任せるつもりですよ」

 心配だ、そう呟く主人の声は聞かなかった事にした。重大な話でもあるのかと思った為に、脱力感が激しい。今なら安眠出来そうだ。