3話 戦いに興じる者

07.かつての上司


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 真白と別れた翡翠は足早に山頂を目指していた。役割的な問題で、真白に気付いた紫黒が自分より先に彼女へ襲い掛かってしまえば囮の意味が無くなるからだ。彼女が山頂に到達するより、かなり早く紫黒に仕掛けなければならない。

「――……おっと?」

 更に走る速度を上げようとしたが、不発に終わった。
 ふらりと目の前に現れた人物を前にうっすらと笑みさえ浮かべる。赴く手間が省けたというものだ。
 態とらしく恭しい一礼をした翡翠はかつての上司にまずは挨拶した。

「ご足労痛み入るよ。わざわざ私に会いに来てくれたのかい? 紫黒殿」
「心にもない事を。貴様、何故また死霊山に来た?」

 ――あれ? 真白がいる事に気付いていない?
 嬉しい誤算だ。道理で裏山に回っている真白を無視して、先に自分へ会いに来たものだ。イキガミなどと宣う小娘だったが、恐らく虚言ではなかったのだろう。
 彼女が先の紫黒戦で使ったのは軽度の術と、移動術のみ。紫黒の警戒には価しない人物だと誤認してくれている。このまま彼女が戻ってくるまで時間を稼げば勝ちの目が見える事だろう。

 肉弾戦に持ち込まれては不利。あくまで平静の調子を崩さず緩やかに元上司の話に乗る。

「元上司殿のご尊顔を拝みに来たのさ。流れで移籍してしまったが、退職の申告くらいはすべきかと思ってね」
「戯れ言を。やはり殺されたいらしいな?」
「いやいや。私は天寿を全うする予定だからね。他殺されては困る訳だよ」

 ピキッと紫黒の米神が引き攣るのを見た。煽るとすぐ乗ってきてしまう所だけが彼の悪い所だが、実力に裏打ちされた自信でもあるのだろう。
 が、彼はなかなか仕掛けて来なかった。力で押されれば苦労するのは分かっていたので、会話で時間を延ばせればそれに越したことはない。ないのだが、脳筋の彼が仕掛けて来ないというのもそれはそれで不気味なものがある。

「もう一度だけ聞く。何故、裏切った?」
「またその話かい? ああ、私という有望な部下を失いたくなくて、引き留めているのかな?」
「あの小娘――まさかとは思うが、我等が捜しているイキガミではないのか?」
「イキガミなんて単語、どこから聞いて来たのか……」

 イキガミという言葉そのものは、界にさえいれば勝手に耳に入る。しかし、それがあまつさえ人型をしており、こういった事態が起きた場合に限りどこからか遣わされてくる事を知っているのは神使くらいなものだ。
 一般人はイキガミの存在を迷信、もしくは信じるべき神として崇め奉っており、まさか人の姿を取って顕現するものである事など知らない。知る経路がない。

 紫黒の部下を一通り調べたが自分以外の神使もいなければ、生け捕りにされた同胞もいない。何故なら脳筋の大将殿は捕虜という発想がなく、その場で敗者を斬首。連れて帰って来る事が無いからだ。
 であれば、その情報はどこから? イキガミが顕現しているであろう事を知っているような口振りだった。
 我等、という言葉からして大将格のマレビトは漏れなく全員イキガミについて何かしら知識を持っている可能性すらある。出来れば情報の出所について知りたいが、奴がそう簡単に口を割るとも思えない。

 ふ、と紫黒が静かに笑みを浮かべる。凶暴で粗暴な男に似合わない凪いだ水面のような態度だ。

「それなりの期待をして臨ませて貰うとしようか。女神の作った界の救済用神格、何とも強そうではないか。そう思えば、あの小娘の緊張感がない態度も納得できるというもの」
「強さ? 君達としてはイキガミがただの小娘くらいの力しか持たない方が良いんじゃないのか?」

 嬉々とした笑みを浮かべるかつての上司。更に頭を悩ませた翡翠は一旦考えるのを止めた。戦闘狂の考える事など、真面目に考察したところで無駄だ。

 まずは真白が戻って来るのを待つ。見捨てられる可能性が無きにしも非ず、というのが悲しい現実だが、あの温厚な娘が形だけとはいえ連れ歩いている意思疎通の可能な生き物を放置する事はない。
 囮役を買って出たのは単純に、装置を破壊した後に漂う輪力を彼女に補充して貰ってから合流した方が勝率が上がると思ったからだ。特に上司に対する敬意はない。効率化と勝利こそが全てである。

 現状で――否、現状とは関係無く、紫黒を自分一人で倒しきる事は出来ない。それくらいの実力差がある。なので、下手に動くより相手の出方を見た方が良い。

「……貴様ァ、やる気はあるのか?」
「勿論。先手を元上司に譲ってやろうというつもりなのだがね……」

 ――どちらも動かない。
 お見合い状態になってしまったが為に、不意に冷静さを取り戻した紫黒が今度は苛立ちで我を忘れそうだ。

「時間を稼がれているな? であれば、先の小娘――アレに装置を破壊させようという魂胆か。まあいい、それはそれでよい余興となる。丁度暇していた所だ」
「分からないな。貴殿の思考回路は私にとって難解過ぎる」
「小難しい事を考える貴様とは、折れも前々から性に合わんと思っていたぞ」
「おや、奇遇だねえ」

 一瞬だけ何かを考えるように黙り込んだ紫黒は鼻を鳴らすと獰猛な笑みを浮かべた。翡翠からしてみれば全く理解出来ないが、これこそが思考を投げ捨てた姿なのかもしれない。
 紫黒が素早く術式を起動。構築の早さからして、予め書き記しておいた術なのだろう。どう見ても収納系の術だったので更に様子を見守る。

 取り出したのは大太刀だった。と言ってもこれ以上の大きさを言い表す言葉がないので便宜上、大太刀と呼ぶ事にした。というのも、大太刀と言うにはあまりにも巨大過ぎる。一般人ならば持ち上げる事すら叶わないだろう。
 腰に下げている太刀が小さく見える程だ。
 ふ、と翡翠は自嘲めいた笑みを浮かべる。

「なんだいその武器。おかしいな、私は見た事が無いのだが」
「貴様、自分の信用の無さを忘れたか?」

 ――これ、どんな攻撃をしてくる武器なんだ……?
 規格外の大きさを持つ大太刀。刀身の長さに加え、その破壊力まで想像してみるがいまいちしっくり来ない。何が出来る武器なんだ、これは。早くも敵前逃亡したくなってきた。