3話 戦いに興じる者

06.作戦開始


 失礼致します、という言葉と共にツツジが部屋へ入ってきた。盆の上に2つの湯飲みが置かれている。お茶を淹れてくれたようだ。それを確認した翡翠が人の良さそうで、且つ胡散臭い笑みを浮かべる。

「どうも、お構いなく」
「真白様、神使のお客様のようですね。新しく住まわれるのでしょうか?」

 ――そこのところどうなんだろう。
 真白は答えに窮した。ツツジの質問は尤もで、もし翡翠がこのまま仲間入りをした場合は高い確率でこの花屋敷に住む事となるだろう。何らおかしな話では無いはずなのに、この男が花屋敷を出入りしている姿がスムーズに思い描けない。

 返事が無い事で何かを察してくれたのか、彼女は深く言及して来なかった。変わり、こちらも気にした様子の無い翡翠が口を開く。

「君の役目は、この屋敷の管理と言ったところかな?」
「ツツジさん、とお呼び頂きますよう。私は貴方よりうんと歳を取っていますよ」
「それはそうだろうね、どう見たって君は初代だ」

 ツツジの笑顔に圧がある。無礼な若輩者を窘める空気に、肩身が狭くなって仕方なくお茶を啜る。誰よりも歳を取っていない自分が口を挟める空気ではなかったからだ。
 す、と目を開いたツツジがたっぷりの皮肉を含んで微笑む。

「貴方もお役目をきちんとこなして下さいまし。では真白様、また何かあればお呼び下さい」

 それだけ言い残した彼女はスッと部屋から退室した。はあ、と緊張の息を吐き出す。最後にありったけの嫌味を言われた翡翠は肩を竦めている。

「いやあ、おっかないね。私達も一服したら死霊山へ戻ろうか。ふむ、茶は美味いな」

 ***

 束の間のブレイクタイムを終え、死霊山へと戻って来た。戻って来る度に気が重くなってくる山だ。
 そして気が重くなる原因がもう一つ。
 下山の際は花屋敷へ直接戻ったので問題無いが、花屋敷から山頂へは戻れないという事実。また山を登らなければならない。

 翡翠がやや面倒臭そうに眉根を寄せる。

「君の見た事無い術なんかで、山頂へ移動出来ないのかい?」
「印も何も付けてないから無理……」
「移動する為の術はあるんだね?」
「仰る通り……」

 あの時は延々と回復する紫黒との対面ですっかり術の存在を忘れていた。あれ程ボス戦前のセーブは忘れるなと先達の教えがあったというのに。リアル人生でも保険は大事、そういう事だろう。魂にまで刻み込まれた。

 そんなガッカリした気持ちを脇へ逸らす為か、ずっと黙っていた月白が声を掛けて来た。

「まだ其方が破壊した結界は張り直されておらぬようだな」
『張られてた所でもう1回パックンチョするだけだけど』
「考えすぎだとは思うが、結界に使っていた輪力を其方が保有していると紫黒に勘づかれておるやもしれぬ。結界は張っておいて貰った方が、其方の食い扶持になって良かったのだがな」
『なるほどね! 流石女神、頭が良い!』
「妾を馬鹿にしておるのか?」

 はあ、と盛大に溜息を吐いたところ、翡翠がこちらを怪訝そうに見てきた。そういえばこの人に月白は視えていないのだった。

「おや、もう疲れたのかな?」
「将来的には疲れる事が予想されるけれど、まだ疲れてないかな」
「そうかい? どうやら見張りが強化されているようだ。紫黒の元へ辿り着くまでに、何戦かマレビトと戦う事になりそうだね」
「ええー、さげぽよ~」
「何だって? お疲れと言うのであれば、私が抱えて走って差し上げようか?」
「媚びの売り方が露骨過ぎる」

 二度目の溜息を吐いた瞬間、山頂への道を阻むようにどこからともなくマレビトの群れが現れる。これを繰り返しながら山頂を目指すのか。どこの修行僧?

 ***

 這々の体で紫黒と対峙した山頂付近にまで戻ってきた。散々マレビトとのエンカウントを挟んだので、奴等の大将にはこちらの行動など筒抜けだろう。

「作戦内容の確認をしようか、真白。まず私が紫黒の注意――要は囮をする。君は早急に裏山へ回り、維持装置を破壊してくれ」
「維持装置ってどんな形をしてるの?」
「この大自然の中に似付かわしくない形状をしているね。まあ、かなり大きな装置だから見れば分かる」
「何か色々と雑だな……。今更ながら心配になってきたんだけど」
「人数も2人しかいない訳だ。仕方の無い事だよ」

 早速、翡翠と別れて作業に取り掛かろうとしたその瞬間だった。月白が慌てたように真白を引き留める。

「待て待て待て! そのまま翡翠と別れてしまっては、其方が装置を破壊した後、すぐに合流が出来ぬではないか! 移動用の印を!!」
「そうだった……」

 また移動が面倒になる事を失念していた。思わず口から出た言葉に、翡翠その人が首を傾げる。

「どうかしたかい?」
「いや! これを、どうぞ! インスタント術式だけど、私、その印がある場所にすぐ移動出来るから。また長々と歩かなきゃいけなくなる所だったよ」
「そういう重要な事は忘れないで貰えるかな?」
「大丈夫。私の代わりに覚えておいてくれる人がいる!」
「まさか私の事ではないだろうね? まあ、気付いた時には進呈させて頂くとしよう」

 渡した術式の紙を人差し指と中指で挟み込んだ彼はまんじりとそれを見つめている。が、すぐに視線を外すと懐にしまってしまった。

「では、早めに頼むよ」
「了解」

 ようやく作戦が開始される。まずは早急に裏へ回って装置を破壊、そして紫黒を討伐。あんまりにもシンプル過ぎて恐いがまあ、問題無いはずだ。