04.正体
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花の香りに包まれる。ゆっくり瞬きすると、そこはツツジが管理する花屋敷の客間だった。移動が成功した事に対し、真白はホッと胸をなで下ろす。焦って失敗したらどうしようかと思っていたが杞憂で済んで何よりだ。
当然の如く初めて屋敷へやって来た翡翠は興味深そうに視線を巡らせている。腕を組み、大変愉快そうだ。
「便利な術だ。ここが君の拠点なのかな?」
「まあ、そんなところ。あ。その辺の座布団取って適当に座っていいよ」
「お気遣いどうも」
散々登山をさせられたせいか、全身に乳酸が溜まっている気がする。生まれ変わってこの方、筋肉痛とは無縁の身体になっていたが今回ばかりは覚悟を決める必要がありそうだ。
凝り固まった筋肉を解していると、またもや翡翠が訊ねてくる。そういえば彼に真白自身の事や屋敷の事、ひいてはどうやって撤退してきたのかについても詳しく説明していなかった。
「この立派な屋敷は君のものなのかな?」
「え? んー、私のものではあるんだけど、権利は別の人にあるというか。管理している人だけが別というか」
「要領を得ないね、警戒されているのかな?」
「別に……」
――翡翠にもうちょっと自分の事を説明した方が良いだろうか?
イキガミの事を伏せていたのは翡翠があまりにも裏切者予備軍過ぎる動きをしており、警戒していたからだ。しかし、現状の彼は完全に紫黒から敵と見なされており、命まで積極的に狙われている状態。今更、紫黒との戦いで急に寝返るのは考え辛い。
また、マレビト大将格の意味分からん延々回復の突破口を探る為にも互いの能力を出し惜しみしている場合では無いだろう。それぞれ何が出来るのか伝え、どうにか奴の討伐方法を捻出しなければならない。
以上の理由から割とあっさり真白は自身の身分を明かす事を決意した。その決意は月白へ筒抜けなのか、彼女は酷く不安そうな顔をしている。
「あのさ、翡翠」
「何かな?」
「流石に紫黒の討伐方法が欠片も思い付かないから、取り敢えず私のスペック……いや、正体だけでも伝えておくね。何か解決策が分かるかもしれないし」
「おや、私の事を疑うのはもういいのかな?」
「いやもう、万が一私の事を知って襲い掛かって来たら武力行使して叩き潰すしかないと思ってるから。平気」
「嫌な方向に吹っ切れてきたなあ……、たまげたよ」
ははは、と朗らかに笑う翡翠。ほけほけと笑っている場合ではないのだが。
「まず、実は私って女神・月白から遣わされたイキガミなんだけど」
「え?」
「そういう関係のアレで、生き物以外の輪力は自動吸収が出来たり。あとは」
「えっ」
「自動結界が張られてるから、そう簡単にケガしたりしないようになってる。えーっと、あなたも私と戦ったから分かると思うんだけど、実は剣術はそんなに得意じゃなくて――」
「ちょ、待って。うん、何にも頭に入って来ないから一度止まって貰っていいかい?」
「なに」
急に頭を抱えた翡翠に少なからず警戒する。やはり女神系列だけあって、マレビト側の動きをするのであれば急に「お命頂戴!」とか言って向かって来かねない。気を付けなければ。
勝手に真白が警戒している間に脳内での情報整理が終わったのか、翡翠は頭を緩く振った。酷くお疲れのようだ。
「何だか今、とんでもない言葉が聞こえてきたんだけれど……。え? 君がイキガミ?」
「そうだよ。証明する方法はまあ、無いけれども。この屋敷も月白に用意して貰ったお屋敷だしね」
「えー、既にイキガミを名乗る者が存在しているのだが……。まさか神格が2人もいる、なんて事は無いか?」
「そう名乗ってる誰かがいるのは知ってるけど、私だって最近イキガミとしてここへ来たばかりだし。どうしようもないからそのまましてるよ。勿論、イキガミは1人しかいないからね」
「そういう事か。通りで彼女、何の役にも立たない一般人のようだと思ったよ」
「あ、そのイキガミ名乗ってる誰かに会ったの?」
「最初に裏切った組織だね」
「聞かなきゃよかった……。というか、まさか急に襲い掛かって来たりしないよね? 翡翠」
なおも混乱しているようだった彼はこちらを見ると薄く目を細めた。イタズラを考え付いた子供のような目だったと言える。
「さあ、それは君の振るまい次第だよ。私は勝ちの見える場所に居座る、それがお役目なのさ」
「そんな抽象的なお役目ある?」
後ろで月白が「そんな役目を与えた覚えは無い」、と暴れ狂っている。どうやら翡翠もまた、何世代かを経た神使なのだろう。お役目の裏を掻いた動きはまさに世代交代後の発想だ。
「じゃあ、脱線した話を戻すね。作戦会議をしないと。まずは紫黒の超回復能力をどう突破するか。翡翠、前の職場でしょ? 何か知らないわけ?」
勿論、と翡翠が頷く。それは勿論何も知らないという意味なのか、勿論情報は掴んでいるという意味なのか。どちらもあり得そうだから困る。