3話 戦いに興じる者

03.死霊山の輪力


 大変気まずい。友達と遊んでいたらはしゃぎすぎて大変な事になった時のような空気が漂っている。まずい、何か言わなければ。場を和ませる――いや無理。左腕無くなってるのに、無くした張本人がおどけても煽っているとしか思えない。というか、腕無くなってるんだよ? 最早許す許さないのレベルではない。
 凍り付いた空気を動かしたのは他でもない、被害者の紫黒だった。

「ふふ、はははははは!!」
「ヒェ……。何笑ってんのこの人……」

 それまで翡翠ばかり狙っていたマレビトのボスがこちらを向く。まさに好奇の視線。今ようやっと存在を認識されたようで、真白は緊張感に息を呑んだ。
 人の腕を飛ばしちゃった時は何と言って謝ればいいのだろうか。いや待て、そもそも相手は侵略者。謝るとか謝らないのお話ではない気もする。

「貴様、ただの小娘だと思っていたが……。どうやら認識を改める必要がありそうだ。勝ちが見える小娘、か。興味深いではないか!」
「そんな暑苦しい感じで言われても。ただの小娘なんで、翡翠とガチ命懸けの鬼ごっこ続けて。どうぞ」
「油断させる腹積もりか? なかなか豪胆だな」
「ちがっ……!!」

 彼は何と言うか、とてもギラついた性格だった。翡翠の事前情報で想像出来たはずだが、その想像よりずっとギラギラしている。野心家、というか何か強い執念を感じるのだ。
 わかり合える相手かもしれないと思ったが大間違い。完全に苦手なタイプだった。シンプルな身の危険を感じる。ノミの心臓にはちょっと会話が厳しい相手だ。

 背後に立った月白が賢明に励ましの言葉を掛けてくる。普段は皮肉やブラックジョークなどを垂れ流してくる半透明の女神様、彼女は真白が沈んでいる時に限り全肯定励ましマシーンと化すのだ。

「真白、耳を貸す必要は無い。翡翠の時と同様、ジリジリ削って倒せばよい。其方ならば出来るぞ」
『いやマジ無理。恐すぎ。腕無くなってるのに元気過ぎる。端的に言ってメッチャ恐い』

 なおも月白が何か言い募ろうとしたが、その言葉と真白の返事は揃って封印された。

 肘の下からまるっと腕を失った紫黒が、その失った腕など無かったかのように空っぽの左腕を向けてきたのだ。断面がはっきりと見える。血肉ではなく、黒いぽっかりとした穴が空いているかのようだ――
 脳が視覚情報を伝達している最中。紫黒の無くなった腕の周辺に、黒い粒子のようなものが散るのが見えた。それはすぐに腕の形を形成、瞬きの刹那には飛んで行った腕はしっかり元通りにくっついていた。

「……え? えっ!? な、治ってる……!!」
「何を驚く事がある。死霊山の輪力は全て俺のもの。この程度、造作も無い」
「よ、良かったあああああ!! 傷害事件で豚箱ぶち込まれるかと思ったああああ!!」
「はあ?」

 ニヤニヤと嗤っていた紫黒が一瞬だけ真顔になった。
 更に何か言おうとした紫黒の言葉が、存在を限りなく薄くしていた翡翠によって遮られる。

「では、もう一度試してもいいかい? なに、治るのだから問題は無いだろう?」

 飄々とした声。それと同時に真横から飛び出てきた翡翠が不意討ちよろしく、得物を勢いよく振り抜いた。目にも留まらぬ早さで鈍色が輝き、紫黒の胴を真横に凪ぐ。
 やはりそれは黒い粒子を撒き散らすだけで、鮮血が飛び散る事も無ければ攻撃された彼が傷付いてダメージを受けている様子も無い。切り裂かれた跡だけが見える筋肉の付いた腹。そこに走った一文字の切傷はあっと言う間に黒い粒子によって跡形も無くなってしまった。

 真白の隣に並んだ翡翠がはっはっは、と暢気な笑い声を漏らす。

「消耗戦では済まないようだ」
「笑い事じゃ無いんだけども」

 ふわり、と半透明の月白が目の前に出て来た。真白以外に見えない彼女は渋い顔で提案する。

「一度、花屋敷へ撤退を。泥仕合では勝算が見いだせぬ」
『マジか、了解』

 月白の渋い表情が全てを物語っている。長居は禁物だ。早速翡翠にも今言われた事を伝える。

「翡翠、一度撤退しよう。作戦会議しないと!」
「賢明な判断だね。では、どうやって逃げようか?」

 ふん、と紫黒が鼻を鳴らす。

「逃がす訳がないだろう」

 捕まったら何をされるか分かったもんじゃない。翡翠の腕を掴み、術を展開する。どんな所からでも花屋敷へ強制帰還可能な、例の術だ。数秒で編んだそれをすぐさま起動、視界が白く染まった。