06.裏切者
「此奴、神使か? 今結界の内側から現れたな……。嘆かわしい事よ、代替わりしたとはいえ神使から裏切り者が出るとは」
『や、何かこう、スパイとして潜り込んでる可能性だってあるじゃん』
「すぱい……。確か、間者の事であったか。ううむ、そうとは思えぬがな」
月白との脳内会話を終える。一瞬の空白で、男の方は表情を持ち直していた。胡散臭い笑みを顔に貼り付けている。何故だろう、雰囲気と相俟って非常に似合う表情だ。
その笑みのままに男が話し掛けてくる。
「やあ。結界が消えたようだから様子を見に来たのだが……。これは君が?」
「いや別に……。ちょっと触っただけだし」
物を壊した事がバレた子供のような言葉を口にする。男は気を悪くした様子も無く、「そうかい」、と楽しげに頷いた。
「私は翡翠、神使だよ。君は誰だろうか?」
「えっ……。えーっと」
堂々と神使を名乗ってくるのは予想外過ぎて思わず言葉に詰まる。かなり掴み所が無い男だ。このまま相手にペースを握らせて喋らせるのはマズい気がする。どうにか会話をしないようにしなければ。
考えた末、真白は自らの名前を黙秘した。黙り込んでしまったこちらを見て、一層翡翠と名乗った男は笑みを深める。まるで珍しい動物の観察でもしているかのようだ。
謎の沈黙が続く中、意を決して口を開く。このまま翡翠に喋らせ続けるより、訊きたい事を訊いた方が良いと判断したのだ。
「神使なんでしょ? 何でこんな所にいるの?」
「仕事だよ、当然ね。結界が消されてしまったから、雑魚マレビトでは手が回らないだろうと思って」
「結界を守っているの?」
「そうだよ。うむ、出て来て良かったな。何だか面白い事が起こりそうな気配だ。そうだろう?」
――ソウ・クレイジー!!
心中で叫ぶ。ヤバいよこの人。多分かなり頭可笑しいタイプの登場人物だ。人殺しが好きです、とか笑顔で言ってくるサイコパス野郎の可能性あり! 要注意人物!!
心中が荒ぶっている事に気付いたのか、月白がやや心配そうな視線を送ってくる。彼女にこんな表情をさせた人物は決して多くないだろう。通常時はかなり冷静な女神なのだ。
偏見を胸中で叫び散らしているこちらの気など知らず、翡翠が腰に差している身の丈程もありそうな刀の柄に手を掛けた。
「さて、丁度退屈していたんだ。どうか私を楽しませておくれよ」
「えぇ……。神使なら私の事は見逃して欲しいっていうか、敵対する必要無くない?」
「ならば君は界を守護する側の存在なのだろうね」
「そっちは違うの?」
「ふふ、どうだろうか」
大事な部分をダイナミックにはぐらかされた。信じられない。
それまで黙っていた月白が耳元で囁く。
「一先ず、此奴は叩きのめせ。イキガミに刃を向けるなど不敬。其方の判断に任せるが、この場で斬首しても良いな。一度裏切った者は、二度、三度と裏切る可能性が高い」
『こっわ! なになに? どうしたの急に……。斬首とかしないよ、グロテスク過ぎる』
そもそも彼、翡翠はこちら側がたった3人+霊体の4人で構成されたイキガミ組織だとは思っていないだろう。正体を訊ねてきたが、先程は答えを濁してしまったし。
月白の台詞に困惑している内に、翡翠が動いた。既に腰の刀は抜き、右手でそれを持っている。つまり斬り掛かって来たのだ。
「どわっ!? 幼気な女子供に何するのさ!! サイテー!!」
「幼気な、ねえ。君、間違いなく人の子ではないからね。子供に分類される歳なのかな? ふふ、人外相手に野暮な話だったか」
――うん、まあ確かに。前世と合わせて恐らく30年近く生きてるよ? 完全に大人だね!!
大人という単語と成人式、という単語が同時に脳裏を過ぎる。そういえば成人式、参加出来てない。前世では二十歳を迎える前にご臨終した上、今の人生ではそもそも正確な年齢が分からない。なんてこったい、圏外の高校へ転校した友達と再会する約束をしていたと言うのに。
振るわれた一閃をギリギリのラインで回避。危うく身体が真っ二つになるところだった。しかし、鋼斉に剣術や護身術をある程度習っているとはいえ、決して得意ではない。戦える程度に整備しただけとも言える。
なので、こうやって意思を持ったマレビトではない相手と対峙する時は絡め手が必要。馬鹿正直に剣技を仕掛ける必要は無い。知能が高いので、ああやって業物のような豪勢な得物を携えている相手は剣の腕に長けているかもしれないのだ。
一撃を回避する流れで、大きく間合いを取る。どう見たって物理特化型。間合いを取りつつ、術で狙い撃ちしてやる――
どうやって詰めるか考えながら、術式を形成。言霊を使う術より、術式を用いた術の方が威力が単純に高いので気に入っている。
出来上がった風の術式を放つ。風で形成された不可視の刃が翡翠に迫って――
「術を撃ち返してくるぞ、真白!!」
月白の叫び声。どういう意味か理解する前に、起きた事象によって現状を把握した。
まず、先程撃った術。これは翡翠が撃ってきた術によって空中で衝突。どちらの術も消失した。しかし、それを見越していた翡翠が更にもう1つ用意していた術を放ったのだ。水鉄砲――本当の意味で水を弾にした鉄砲のような術。それは何者にも阻まれる事無く真白へ飛来。それが、真白の周囲に巡らされているオート結界によって霧散した。
これが今の術の撃ち合いで起こった事の顛末である。とはいえ、あまりにも早すぎる勝負の流れだったので何が起きたのか分かったのは全て終わった後だった訳だが。