4月

06.早起き


 淀みのない動きで食事を制覇していくヴィオラ。彼女はやはりクランツの娘だった。躾はちゃんとした、という彼の言葉は本当だったのだろう。
 やや安心したのも束の間、次なる問題が立ち塞がった。
 ――会話が無い。
 何を話していいのかも分からない。全くの初対面なので、何の話題なら盛り上がるのか見当も付かないし、そもそもグレン自身もよく口が回る方ではないからだ。

 迷いに迷った挙げ句、女性から「コイツつまんね」と思われる会話のチョイスをした。食事中に聞くような話でもない話だ。

「ヴィオラ、お前はどうしていきなり戦闘員なんてやろうと思ったんだ?」
「……ぇ。あ、えっと」

 失敗したと直ぐに悟った。表情にこそ出なかったが、明らかに彼女の挙動は思わぬ事を聞かれた時のそれだったのだ。話題の取り消しをしようとしたが、それより先にヴィオラが問いの答えを述べる。

「……た、ただの社会勉強。あと、諸事情で。自分の手で稼いだお金が欲しかったから」
「そうか。社会勉強にしては危険な仕事を選んだな」
「いやうん、そうなんだけれども」

 グレンは目を眇めて、食事に視線を落としたままのヴィオラを観察した。
 金持ちの道楽、その見本のような回答だったが彼女にそういう趣向があるようには見えない。とはいえ、人は見掛けによらないとも言うし難しいところだ。
 緩やかに思考の海に沈んでいく脳内に、彼女の声が割り込む。

「ところで、父は私の事を何か言っていた?」

 これまた答え辛い話題だ。致命的に彼女と自分では思考が噛み合っていないのではないだろうか。
 色々考えた結果、あった事をありのまま伝える事にした。色を着けて心配していた、と言うのは簡単だが彼女等がどういった家族関係なのか分からないので下手な事を言うべきではないと判断したのだ。

「忙しいから預ける、と言っていたな」
「そう……」

 非常に微妙な反応。考え事をしているようでもあり、大した話題でなかった事に落胆したようでもある。
 それとは別に、明日の予定を確認しておかなければ。

「ヴィオラ、明日は何時に起きる? 俺と一緒に出るか?」
「そうする」
「起床は6時だが」
「大丈夫。起きられるよ」

 同じ職場、同じ家に住んでいて別々に出るのは難しい。何せ、出勤時間も恐らくは同じだ。
 とにかく、午前6時というのは決して遅い時間ではない。かなり早起きの部類に入る。明日、もしメルヤがやらかしてヴィオラが起きて来ないようなら起こしに行かなければならないだろう。
 脳内のメモに「明日は少し早めに起きる」、と付け加えた。とはいえ、早起きは苦手だ。特にドタバタしている日の翌日なんかが。

 その後、特に会話が弾む事も無く食事を終了。解散と相成った。

 ***

 翌朝、午前6時。
 1秒のズレもなくピッタリの時間に目を醒ましたヴィオラは、まずカーテンを開いて朝日を浴びた。これは毎日のルーチンワーク。人間は日光を浴びる事で体内時計の時間をズレなくリセットするらしい。

 昨日は気を張っていたし、色々あったせいかベッドへ入った瞬間、気を失うレベルですぐに眠れた。お陰様で精神的には疲れが残っているが身体は非常に元気である。

 すぐに起き上がり、7時の朝食に向けて準備を開始する。あの立派な食堂に寝間着で行く度胸は無い。完璧に出掛ける準備を終えた状態で行く場所だ。
 服を着替え、持ち物の確認をする。
 20分くらい経っただろうか、ドアをノックする音と快活な声が聞こえてきた。かなり早口で、少しばかり焦っているような声音。世話をしてくれる侍女、メルヤか。

「うわああああ!! ヴィオラ様、ヴィオラ様! 起きて下さい! すいませ〜ん、ちょっと寝坊しちゃって〜!!」
「……起きてるけど」

 隣は例の恐ろしい一人息子、グレンの部屋だ。あまり騒ぐと怒られかねない。サイレンのような喚き声を止める為に素早くドアを開け、メルヤを中へ招き入れた。
 中へ入った彼女は微笑む。

「わぁ! ヴィオラ様、私が居なくてもお一人で準備されるんですね〜」
「早起き、得意だから」
「そうなんですかぁ? じゃあ、今度から私の事も起こして下さい〜! 私、早起き苦手で」

 ――でしょうね! でも私が起こしに行くのはおかしいけど!!
 最後まで手つかずで放置していた髪のセットに入る。ここぞとばかりにメルヤがやんわりと櫛を手に取った。

「お任せ下さい! 昨日と同じ髪型に致しますか? それとも、メルヤ特製もりもりセットにしますか〜?」

 何だよ、メルヤ特製もりもりセットって。非常に気になるが、今日は既に時間があまり無い。ちょっとよろしくない髪型だった時に、やり直す時間も無さそうだ。

「昨日の髪型で」
「了解しました〜! 気に入ってるんですか? この髪型」
「いや別に……」

 単に時間が無いから分かり易く認識されているこの髪型をチョイスしたのであって、要するにただの手抜きである。

 彼女のドジッ子属性は昨日の内に分かっていたが、それでもそこまで気は遣えなかった。案の定、ヴィオラの髪をうっかり引っ張ってしまったメルヤと謝罪の応酬になり、10分前には1階へ下りていようという目論見は見事失敗に終わる。