05.気まずい食事会
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午後7時、食事の時間だ。家のルールとして、屋敷に居る客を含む身内は皆一緒に食事を摂る事になっている。というか、客だけ除け者にして食事を摂るのは失礼過ぎる。ので、今日来た彼女、ヴィオラが食事に同席するのは自明の理だ。
ぐったりとグレンは溜息を吐く。これが仕事上の付き合いであったのならば、まだそれらしい振る舞いが出来た。しかし、今日預かっているアレはあくまで『父の友人の娘』。粗相など赦されない。彼女とグレンはある種対等の間柄だからだ。
端的に言ってしまえば、あまりにも無愛想にしていたら彼女から父親であるクランツにチクられかねない。
――だが会話が続かないんだよ……。
元々口下手な方だったが、恐らく相手もそうだ。こんなんで会話など成立するはずもない。
食事前だというのにキリキリと痛む胃を押さえた時だった。自室に遠慮がちなノックが響いたのは。
「グレン様、お食事の時間でございます」
「あ、ああ。今行く」
落ち着いた双子の姉、オルガの声。彼女がここに居るという事は妹のメルヤがヴィオラを迎えに行ったのだろう。酷い人選ミスだ、大丈夫か?
ともかく、第一印象が『偉い人っていうか同僚じゃなくて上司っぽい』という称号を獲得している自分だ。柔らかく、柔らかく。
言い聞かせながら部屋を出る。待っていたオルガが恭しく一礼した。
「お待ちしておりました。では――っ!?」
隣の部屋、引いてはヴィオラに割当てた部屋から盛大に何か物音がした。途端にオルガが顔を青ざめさせる。胃どころか頭も痛くなってきた。ともあれ、メルヤの、使用人の仕事を屋敷の人間が横取りする訳にもいかない。
グレンは隣人を気に掛けつつもオルガに先へ行くよう促した。
「行くぞ。食事が冷める」
「え、ええ。……メルヤ……」
「問題無い。メルヤはそそっかしい所があるが、やるべき事は理解している。阿呆な事はしない」
「そう、でしょうか。しかし、グレン様がそう仰るのならば……」
――とはいえ、メルヤのドジ体質をヴィオラが嫌がるのなら世話係の調整を行わなければならない。それとなくキースに頼む方が角が立たず済むだろう。
1階へ下りて、程なくした所でヴィオラとメルヤもまた下りてきた。
双子の片割れは盛大に何かやらかしてくれたらしい。上品なエプロンドレスが所々着崩れしている。これは転んだかな。
一方で被害者であるヴィオラは澄ましたものだった。まるで何事も無かったかのように振る舞っている。ひょっとすると、使用人の不祥事になど興味がないのかもしれない。
「メルヤ……! 裾を直しなさい……!!」
耐えきれなかったのだろう。オルガが小さくも鋭い声で妹を窘めた。えへへ、と緊張感の無い笑みを溢したメルヤがドレスの裾を綺麗に伸ばす。
「転んじゃいました〜。すいません、ヴィオラ様」
「後ろの裾も捲れてるよ」
「ああっ! 本当にすいませ〜ん!! ヴィオラ様は、本当にお優しいんですね!」
「…………」
形容し難い顔を一瞬だけしたヴィオラは無反応だった。恐い。怒っているのか寛容に赦しているのか、それすら図れない。
青ざめた顔で妹の横顔を凝視していたオルガが我に返る。
「では皆様、こちらのお部屋です。ヴィオラ様、食事は必ずこの部屋で摂る事になっています。も、もしメルヤが来ないようでしたら、こちらのお部屋へ……」
「分かった」
ドアの前まで移動すると、双子の侍女は軽く頭を下げてドアを開けた。中には入らず、ドアの両脇で待機している。彼女等とキースは一緒に食事を摂らないのだ。
中にいるのはキースのみ。先にも述べた通り、彼は食事を摂る為にこの部屋にいるのではない。食事の世話をする為に残っている。執事のさり気ない導きでグレンとヴィオラは指定された椅子に座った。
父、アラスターの姿は無い。仕事が押しているのだろう、屋敷にいないのかもしれなかった。
ヴィオラ様、とキースが口を開く。視線の先にはヴィオラではなく、彼女が前にしている大量のフォークやスプーン、ナイフに注がれていた。
――大丈夫か? 使い方は分かるだろうか。
彼女の父であるクランツの事だ。テーブルマナーはしっかり教えているだろうが、それをヴィオラが覚えているか否かは別の話。クランツは立派な御仁ではあるが、そうであるが故に同じ事を何度も教える根気強さを持っているとは思えない。
「ヴィオラ様、こちらの食器、使い方を説明致しましょうか?」
「……マスカードのテーブルマナーは、通常のそれとは違うのですか」
――答えにくい質問をするのは止めろ!!
なるべくヴィオラに恥を掻かせないよう訊ねたはずのキースが僅かに狼狽したのを感じる。ここで「いえ、一緒なんですけど。貴方がテーブルマナーを覚えていなかったら問題だと思って」、などと馬鹿正直に言えるはずがない。解雇まっしぐら。
しかもキースの気遣う発言すら若干失礼に感じさせる切り返し。
テーブルの下、見えない位置にある手でグレンは自らの胃を押さえた。しかしこの場合、真に胃の痛い思いをしているのはキースだろうが。
「し、失礼致しました」
「いいえ。大丈夫です、分かります」
ちら、とキースを伺ったヴィオラはそう言うと目を伏せた。そこから感情を伺う事は出来ない。