4月

04.マスカード家の息子さん


 アラスターは紅茶を楽しみながらも、何やらドアの方を気にしているようだった。ヴィオラの視線に気付いたらしい、家の主は苦笑する。

「いや、すまないね。息子を呼んでいるのだが、なかなか下りて来ない――ああ、来たようだ」

 ドアがノックされたので、アラスターが応じる。すぐに先程、街でずっと一緒にいたキースが顔を覗かせた。どうやらアラスターの息子とやらが入って来たらしい。
 歳は20代前半。多分、同じくらいの歳だろう。黒い髪を一つに結わえ、とても同年代とは思えない険しい顔をしている。柔らかな物腰のアラスターとは違って、厳格なイメージが付きまとう。
 ――正直。第一印象は、あまり良くない。威圧的な表情のせいで会話が出来る気がしない。圧倒的なまでの、貴族ご子息感。なんちゃってお嬢様の私とは違うのだとよくよく分かってしまう。共通の話題とかも無さそうだし。

「来たか。グレン、彼女がヴィオラちゃんだ」

 アラスターが絶妙なタイミングで息子さんとやらに話を振った。黒々とした双眸がヴィオラを捕らえる。

「グレン・マスカードだ。今日から1年間だったな、よろしく頼む。ヴィオラ」
「……ええ、よろしく」
「ああ。歓迎する」
「それは、どうも」

 ――やばい、コイツこええええええ!!
 心中で絶叫した。本当に歓迎する気があるのか、全く読めない感情。鉄面皮過ぎて、歓迎するが新手のブラックジョークかと思ってしまった。
 バクバクと心臓が早鐘を打つ。
 予想の倍は恐ろしい人物だ。変な事をしたら即追い出されそう。

 こちらが五臓六腑を口から吐き出しそうな状況であるにも関わらず、アラスターはソファから腰を浮かせた。息子とは違う愛想の良い笑みさえ浮かべている。

「では、私は仕事に戻るよ。お互い歳も近いようだし、仲良くしてくれ」
「ええ。勿論」

 ――勿論、が心にもなさ過ぎるよ!! 行かないで、アラスターさん!!
 心の叫びは届かない。むしろ、アラスターはその返事に満足したかのように手を振って客室から出て行ってしまった。
 その際に気付いたのだが、キースはどうやらずっとドアの横に立っていたらしい。アラスターを見送りはしたが、そのまま部屋に残留している。

 それはそれとして。
 どうするんだこの状況。さっきから全くと言って良い程会話も無いし。こういう時、沈黙に耐えられず口を開くのはいつも自分なのだが、残念な事に父親からよく言い聞かせられている。
 ――「お前の言葉はトラブルの元だ。出来るだけ喋るな」、と。
 お喋りな気質は既に矯正済み。現状を変えるだけの力は無い。

 気まずい沈黙を打ち破ったのはヴィオラでもグレンでもなかった。ドアの横で事の成り行きを見守っていた執事、キースだ。

「グレン様。ヴィオラ様をお部屋へご案内してはどうですか?」
「……そうだな。ヴィオラ、使用人がお前の部屋に荷物を運び込んでいる。行こうか」
「はい」

 やっとこの気まずい空間から開放される。ヴィオラはこっそりと肺に溜まった緊張感を吐き出した。
 客室を出て廊下に出る。新鮮な空気を吸い込んだ。
 長い廊下。地元にいた友達はどうしているのかと考える。1年も帰らないと言ったら残念そうにしていた。

「こちらのお部屋になります、ヴィオラ様」
「……!」

 キースがドアを開けてくれたので中へ入る。明らかに使われていない、お客様お泊まり部屋だ。小綺麗にされているし、心なしか家具も女性が使うような意匠で統一されている。
 ああそうだ、と無機質なグレンの声が鼓膜を叩く。

「隣は俺の部屋だ。何かあったら呼べばいい」
「……ありがとう」
「夜中はキースや他の使用人は端の部屋で休んでいる。恐らく、俺の方が近いぞ」
「了解」

 お二人とも、とキースが不意に声を掛けて来た。

「わたくしは職務に戻ります」
「ああ、ご苦労だった」

 ――キースさんをリリースすんな! お前、この後続く沈黙をどうする気なんだよ!!
 こんな粗い言葉、叫べるはずもなく主張は喉に支えて止まった。
 キースが踵を返して階段を下り、1階へと戻ってしまう。茫然と見送るヴィオラの耳に届く。

「午後7時から夕食だ。それまでは自由にしていて良い」
「7時……」
「メルヤが呼びに来ると思うが、アイツはたまにやらかす。時計を見て自分で動いた方が確かだぞ」

 メルヤ――ツンテールの方か。確かに会った時からそそっかしいイメージはあった。沈黙を誰の事か考えていると受け取ったのか、グレンが言葉を続ける。

「メルヤは、双子の侍女の幼く見える方だ」
「分かります」
「そ、そうか……」

 荷物をまずは片付けなければ。7時までかなり時間がある。昼寝くらい出来るかもしれない。

「ちょっと、荷物の片付けをしてくる」
「ああ、分かった」

 グレンと別れ、割当てられた部屋へ戻った。そして、ぐったりと溜息を吐く。ようやく他に知らない人がいない空間に来る事が出来た。緊張感からか、急に力が抜けてしまい、備え付けの椅子に座り込む。
 今から持って来た物の片付けをしなきゃいけないのか。人に勝手に物を触られると体質の関係上、気になって仕方ないので片付けは自分ですると最初からそう言っていたのだ。

「休憩してから片付けよっかな……。でもなあ、この散らかり具合はなあ」

 やっぱり片付けしないと。