1話 廃旅館

06.8月2日


 早く行け、というトキの怒号に背を押され、南雲と共にゆっくりと室内へ入る。二人三脚でもしているのかと言わんばかりにピッタリと、互いが逃亡するのを牽制し合いながらだ。

「先輩、絶対に俺を置いて逃げないで下さいよ」
「こっちの台詞だよね、それ。私の事突き飛ばしたりしないでよ! ゲームの中とはいえ!」
「あ、これゲームか。あんまりにもリアルなんで、今まですっかり忘れてました」

 恐る恐る、周囲を見回しながら進む。背後でトキが苛々としているのがよく分かるが、口を挟むつもりは無いようだ。
 たっぷり3分かけて白いメモの場所にまで辿り着く。
 最初に言った自分の言葉を覚えていたのか、南雲がそれにそうっと手を伸ばした。目を瞑っている彼は二度、三度とメモとは違う場所に手を伸ばし、ようやく紙片を掴んだ――

「あ、あれ? 何も無かったっすね」
「中には何て書いてあるの?」

 拍子抜けしたような笑みを浮かべた南雲がメモの中身を改める。そして首を傾げた。

「何すかね。この、お遣いにやる子供に持たせるみたいなメモ」
「どれどれ……」

『材料について
 ・牛肉 1s
 ・鶏肉 4パック
 ・折り畳まれた肉 2箱
 ・特製ドレッシング 2本
 ・冷凍庫の丸太 3本
 ※宴会用です。多目に計って下さい。』

 ――料理の材料のようにも見えるが、所々おかしな材料がある。
 それに薄ら寒さを覚えながら、何も見なかった事にして紙を折り畳んだ。

「何かヤバイ紙だったね」
「いや、というか、研修用なんすよね!? ストーリーあんのかよ――ひぎゃああああああ!?」
「ッ!?」

 唐突な南雲の絶叫に、思わずミソギは運動会よろしく組んでいた腕を振り解き、後輩から盛大に距離を取る。
 瞬間、怖がりな後輩は滅茶苦茶に腕を振り回した。あんなもの、ぶつかったら怪我するに違い無いので逃げてせいかいだったと思う。

「肩に! 肩に手があああああああ!?」
「ええええ!? 手? 手!? いや別に私には何も見えないけどおおおお!?」
「ぎゃああああ! ……って、あ。どっか行った」

 左肩の辺りを涙目で眺めていたワンコ後輩はしかし、ここで重大な事実に気付いた。さっと顔が青ざめる。

「ちょ、センパーイ! 俺の事置いて行かないで、つったじゃん!!」
「いやこれは不可抗力だって。いいから、部屋から出よ?」
「話を逸らさないでくださいよ!!」

 南雲を連れて、這々の体で部屋の外に出る。一連の出来事を無言で観察していたトキは感心したように頷いた。

「素晴らしいタイミングのギミックだったな。紙を取ったと油断させた後に仕掛ける。なかなかどうして、驚かすとはどういう事か分かっているようだな、制作陣は。8点」
「何点満点中の点数!?」
「無論、10点だ。今のは良かったぞ」
「仕事じゃ無い時の先輩、ノリ良すぎじゃね? 気迫が足りねぇっす」
「何とでも言え。私だって、常日頃から気を張っていたい訳ではない。それより南雲、それは無くさないように所持しておけよ」

 次はどこへ行くべきか、と当人達よりさっさと気持ちを切り替えたトキは周囲の距離を目測しているようだ。
 ぐったりと溜息を吐き、ミソギは大きく背伸びをする。
 駄目だ、このゲーム探索しているだけで疲れる。

「次はあの部屋へ行くぞ。取りこぼしのないように見て回れ、以上だ」

 一部屋一部屋開けていったが、中から怪異のドッキリハプニングや、南雲のなんちゃって絶叫。トキの意味不明なタイミングでの意味深発言など、小さな出来事はあったものの、1階はほぼ回り終えた。
 しかし、不穏な事に温泉には脱衣所の鍵が閉まっており入れず、一番何か出そうな場所には何があるのか分からないままだ。

「1階は最後の部屋だね。ああ、疲れた。おかしいな、実際には叫んでいないはずなのに、喉が痛い」
「実際に叫んでいるのかもしれんぞ」
「うわ、それは嫌だなあ……。あの機械に繋がれたまま、ギャーギャー叫んでるって事でしょ? 何かヤバイ研究を受けてる人、みたいな」
「想像力が逞しい事だな。その調子で、ドアを開けた瞬間何か出て来るという心構えで行け。そうすればいちいち叫んだりしないはずだ」
「それを想像するのが怖いから、考え無いようにしてるんじゃないの?」

 溜息を吐きながら、ミソギは1階最後の部屋を最初の頃よりずっと躊躇い無く開いた。そういえば、この部屋だけ他の宴会場と違いドアノブのあるドアだったな。という事実にはドアを開けた後に気付いた。

「どーっすか、ミソギ先輩。何かあります?」
「何か、っていうか……。これは従業員とかの部屋かも。私物が置いてあるよ」
「ええっ!? それ、確実に何かあるやつじゃないすか!」

 見るべき所が多い。畳の和室だが、高そうな箪笥や机が置いてある。他の部屋にあった家具とは明らかに違う、時間が経とうと原形を保った高そうな意匠のそれらは質屋に売ってしまえば良い値が付きそうだ。
 これまでの経験と勘が告げている。ここはかなり重要な場所で、取りこぼしがあった場合、取りに帰らなければならない何かが眠っていると。