05.8月2日
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8月2日、2回目の試作体験が始まった。
余談だが、開発部に絶叫の件を相談したところ、そのまま試作機を動かして良いとの事だった。
すでにセッティングを終え、試作機を起動させたミソギはがっくりと項垂れる。今回は、前回終わった1階の廊下からだった。外からではなく。途中経過が保存されていたのだろう。お陰様でログインした瞬間に絶叫という前代未聞の珍事件を引き起こしてしまった。
「あー、もうこれ今日駄目だわ。完全に出鼻を挫かれた。これ以上は何もしたくないし、今日は終わらない? もうこれアレだもん、気持ちを落ち着ける事も出来そうにないもん。今日は終わった方が良いに一票」
「流石ミソギ先輩、良い事言う! 俺も、今日はもう終わった方が良いと思うっす!」
「そうか、言い訳は終わったようだな。ゲームを早々に進めろ」
無慈悲にそう言ったトキがぐいぐいと背を押す。いつもは先頭に立っている彼だが、今回のメインはあくまで怖がり2人という事だろう。前に人がいないと、こんなにも不安に感じるのか。
深い溜息を吐き、仕方なく足を進める。残念な事に終了する為の主導権を握っているのはトキその人だ。彼が納得するまでゲームを終わる事は出来ないだろう。
「ひぃあっ!?」
「ぎゃ!? な、何? どうしたの南雲!」
不意に上がった後輩の情けない悲鳴に連動して自らも悲鳴を上げる。隣を歩いていた南雲が震える指でずらり並ぶドアを指さす。廃旅館と言うだけあって、かなりの部屋数だ。
「せせせ、先輩! ど、ドアの前にイカの亡霊がっ!」
「イカの亡霊!? イカ刺しにされて恨み辛みを持った、イカの亡霊って事!? ここ陸地ぃ!」
「ヤバイっす、捕まったら海に引き摺り込まれるんすよ、きっと!」
「成る程、発想力豊かだね南雲!」
確かに、ドアの前には青白い三角形の、見ようによってはデフォルトされたイカに見えなくもない何かが見える。しかし、これは――
「矢印だろう、これは。所詮はゲームだな、調べろというアイコンだ」
トキが冷静にそう言ってのけた。その意見には全く同感だが、これをイカの亡霊と見間違える南雲の視力が心配すぎて早急に眼科を勧めてあげたい。
羞恥より恐怖が勝っているらしい後輩は、見間違えた恥ずかしさよりもそれが怪異の類ではなかった安堵の方が強いようだ。「あ、何だ矢印か……」、と安心しきった声を上げている。
なおも、一人で勝手に考察するトキはメタな観点からの感想を述べた。そこに遠慮はなく、敢えてその挙動に名前を付けるのであれば品評である。
「探索の手引き……。部屋は余すこと無く全て調べろ、という事だろうな。確かに、異界に取り込まれた場合の行動としては正しい。やり過ぎのような気もするが」
「えー、これ全部調べろって事っすか? 広すぎるでしょ」
「知らん。苦情は制作者に言え」
「間取りからして宴会場っすかね。個室にしては間隔が広い気がします」
確かに間取りは個室のそれではない。そもそも、この廃旅館自体が泊まる事を目的としている、と言うより大宴会場をたくさん持つ、一種のパーティが行われるのを目的とした場所にも見える。
1階には人が集まれる部屋を、2階以降が泊まる為の客室と見て良いだろう。
「――まあ、何にせよ部屋は全部開けろって事なんだろうね」
「そうだな。さっさと開けろ」
私は触らないぞ、と両手を挙げるトキ。本当に手伝ってくれる気は無いようだが、彼らしいと言えば彼らしい。
仕方なく、息を呑んだミソギは手近な引き戸に手を掛けた。ドアドア、と言っていたが昔ながらの襖のようなそれだ。息を吸って吐き、一思いに戸を開け放つ。
「わっ!?」
「ひぃっ!?」
何故か背後にいた南雲が声を上げた。釣られて悲鳴を上げたミソギは素早くその場に蹲る。
「……あ。すんません、先輩。何もありませんでした」
「ちょっとおおおお! 何も無い所でいきなり叫ばないでよ! 何かいたのかと思ったでしょ!!」
「すいませんって! ホント、この通り!」
手を合わせて頭を下げる南雲だが、その鶏冠頭のせいで、いまいち誠意が感じられない謝罪だ。見た目って大事なんだと思った。
おい、と苛立ったトキの声が耳朶を打つ。
「いいから、早く進めろ。戸を一つ開くのにどれだけ時間を掛けるつもりだ!」
「進めろも何も……」
恐る恐る足を踏み出し、宴会場らしき畳の部屋を見回す。あまり綺麗とは言えなかったので、靴のままだ。ざらざらとした、砂のような感触がとてもリアル。
大人数用の机が4つ繋げて置いてある。座布団などもあるにはあるが、かなり劣化しており、座れないだろう。かなり埃っぽい。その一番奥の机。白い紙のような物が置いてあるのを発見した。
「――南雲。ねぇ、南雲」
「あ、はい。何すか先輩」
「あの机の上……白い紙が置いてあるよね? あれ、取って来てよ」
「ええっ!? 俺がっすか?」
「そうだよ。私は戸を開けたじゃん、次は南雲が行く番だと私はそう思うなあ」
「ちょっと! 何でバラバラに行く必要があるんすか、一緒に来てくださいよ、先輩! 俺の事一人にしないで!!」
「い、嫌だ! あの紙を拾ったら絶対に何かあるもん! 私が開発部だったら、あの紙を簡単に取らせようとは思わないって絶対!!」
――後輩、南雲が掴み掛かってきた。
などと大層に記述したが、腕を凶悪な腕力で引っ張られているだけである。力が強い、気分としては散歩をしている大型犬が滅茶苦茶にリードを引っ張ってくるような感覚だ。
低く呻るような声が聞こえる――と、錯覚したように思えたが実際に呻り声は聞こえてきていた。ただし、南雲からではなく後ろに立っているトキから。
「トキ――」
「いい加減にしろよ。一緒に行け、醜い上に子供のような稚拙な争いは今すぐに止めろッ! 貴様等、私がいない時にはどうやって仕事をしているんだ!? 漠然とした不安すら覚えるぞ!」
「や、私、トキ以外の人と仕事へ行く時は怖がりじゃない人をチョイスしてるから」
「マジすか!? あ、でもそういえばミソギ先輩とは2人で仕事に行った事ないわ……」