第1話

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 どうやら、彼女は認めはしないがちゃんとした迷子らしい。それとなく誘導して、箱庭荘に連れて帰ろう。

「・・・あれ、そういえば、何で僕の前に出て来たの?」
「入って来た人間の中で、アンタが一番ひ弱そうだったからよ!」
「草食系の動物に見えるんだけど・・・まさか、人を食べたりは・・・」
「しないわよ!この鹿の子であるアタシが、人間を!?穢れるから絶対にごめんね!」

 ――あ、鹿の方だったんだ。良かった、トナカイですか、なんて訊かなくて。
 ちら、と鹿の子の足下を見る。恐らくは他のメンバーには見えないだろうが、確かにその両足には風のような力が渦を巻いていた。どうやらこれをブースターに、住宅地を駆け回っていたらしい。

「結界がある事は、分かってたんだ」
「そんなのすぐに気がついたわよ。山が見えたから、そこへ行こうとしたのに壁にぶつかったんだもの!」
「そ、そうなんだ・・・良かった、面倒な事になる前で・・・」
「で、アンタ達人間は何をしにあたしを捜しに来たのよ」

 一際低いトーンで尋ねられる。警戒心が強いらしく、敢えて必要以上に威嚇行動を取らない傾向が顕著だ。好戦的ではないらしい。

「えーっと・・・その、僕達は、霊術院の箱庭荘って所から来たんだけど・・・人外が――」
「人間の悪い癖!何故、アンタ達は人間とそれ以外の物差ししか持たないのかしら!アタシは!世が世ならアンタ達人間に崇め奉られてたっておかしくない、高貴な存在だと知りなさい!」
「ご、ごめん・・・。でも、名称なんてどうせ、事象を呼び分ける為の、その、記号でしかないから・・・」

 霊界からやって来たモノを総称して『人外』と呼ぶ事がある。何せ、霊界には人間ポジションの生物が豊富だ。つまり、一定値以上の知能を持ち、言語を持ち、文明を持つ。それらを見分けるのは時に難しく、その為か人界では人間以外の他界生物を『人外』とまとめて呼ぶ事が多い。
 目の前の鹿の子はその弁が嘘や勘違いでなければ、恐らくは人間が『神』だとか呼ぶような存在なのかもしれない。

「で、続きを話なさいよ」
「ええ、そっちが止めたんじゃ・・・えっと、それで、その迷い人を保護しに来たんだ・・・」
「・・・ふぅん」
「だから、一緒に箱庭荘へ行こう。その、山に帰れるかは別にしても・・・向こう側へは帰れるから・・・」

 妙な沈黙。
 と、鹿の子はその立派な角に僅かに触れた。そういえば、見た目は女性であるけれど、長く立派な角は牡鹿の特徴だ。あまり動物の形態に準じていないのであれば、それは人間の思想が生み出した文字通り『神』なのかもしれない。

「それ、信じるに値する言葉なのかしら」
「えっ」
「アタシの角が目当てなんじゃないの!そうよね、人間って大好きだもんね!不老不死とか、どんな病でも治す妙薬とか!」
「いや、不老不死とか時代錯誤すぎ・・・」
「角は渡さないわよ!一度抜けたら百年は生えて来ないのに、何故アタシの身体の一部をアンタ達にあげなきゃいけないのよ!」
「自分からバラしてるよね。不死の妙薬が作れるって・・・」

 ――どうしよう、面倒な事になってきた・・・。しかも、こっちの追い込み計画破綻してるし・・・。
 穏便に済ませようと思ったが、そうも行かない雲行きを感じる。こちらが何かをしたわけではないのに、鹿の子の警戒はMAXだ。やむを得ない。メンバーに連絡しよう。
 後ろ手でメンバー用に作成した、今日のグループへ標的と対峙している旨のスタンプを送る。これで誰か来るだろうし、注意を惹き付けておけば物理的な捕縛が得意な式見が駆け付けてくれるだろう。

「人間のくせに、人間のくせに・・・」
「あの、落ち着いて。僕達は別に薬とかには興味はな――」
「うるさいうるさい!人間は嘘吐きだって、母様が言っていたわ!」

 瞬間、音も無く鹿の子が地を蹴った。