第1話

2-5


 ドカッ、と鈍い音と共に身体が跳ね上げられ、どこの誰のものとも分からない家の塀を破壊し、背中からその家の庭へ倒れ込む。
 何て威力だ。軽トラに撥ねられたくらいの衝撃ではないだろうか。

「危ないなあ・・・結構強いんじゃ・・・」
「このっ!何て頑丈な人間なの!狩人なんでしょ、アンタ!」
「いや、人間の狩人に石の塀に突っ込んでも無傷な人はそうそういな――」
「屁理屈ばかり言わないで!!」

 ――屁理屈ではなく純然たる事実なんだけどな。
 心中で呟き終わるよりも早く、再び鹿の子が突進してくる。運動神経は下の下くらいしかないので避ける事を早々に諦め、何となくかなりの速度で迫ってくる角が恐ろしいので、形だけ腕で頭を庇う。
 再び宙に投げ出された。一瞬の無重力状態を全身で感じ、ボールのように跳ねて道路を転がる。今度は塀に突っ込んだりはしなかった。

「ああ、制服、着替えてくれば良かったな・・・」

 青空を見上げつつ、立ち上がる。制服に付いた土埃を両手で払った。うん、キリがない。鹿の子からの追撃は無かった。少しは頭が冷えたのだろうか、と彼女の顔色を伺う。さっきまでの猛々しい表情は失せ、代わりに訝しげな顔をしていた。

「落ち着いた・・・?大人しく箱庭荘に――」
「アンタ、本当に人間・・・?」
「え、僕は人間だよ。うん、間違い無いけれど・・・」
「・・・人間は石の塀に打ち付けられてケロッとしていられるような生き物だったかしら」
「僕は能力者なんだ。この通り、身体は全然鍛えてないから、あるのか無いのかも分からないオート結界に頼りっぱなしだけど・・・」

 伊織には見えているらしい、常に加佐見の周囲に巡らされているフルオートの結界。加佐見自身にはそれがどの程度の範囲にまで作用しているのかも不明だし、強度もどの程度のものなのか分からない、実に信用に値しない手持ち能力の一つ。今まで出会って来た人外の中に、これを破壊した者はまだいない。

「――さ、だから行こう。僕達も仕事だし、君には悪いけれど、先輩達を呼んだよ。2人いる。君に僕は斃せないみたいだし、これ以上は時間と労力の無駄だと思う・・・」

 ――この子、僕の所に現れてくれて良かったな。伊織先輩はすぐに殺処分しちゃうだろうし、式見先輩とは相性が悪そうだ。
 微動だにしない鹿の子にそっとにじり寄る。突進して来ようがその角で突かれようが、怪我はしないだろうが恐いものは恐い。共感性は失っていないので、あの角が結界をブチ抜いて人体に突き刺さったらと思うとゾッとする。

「――だ」
「えっ?」
「嫌だ、嫌よ嫌!やっぱり集団でか弱い女の子を襲う、人間じゃない!」
「最初から僕は人間だけど・・・えっと、か弱い・・・何だって?」
「アタシを馬鹿にして!赦さない!」
「えっ、何で怒り出したんだろ・・・」

 第二ラウンド開始。
 そのゴングをどこかで聞いたような気がして、加佐見は誰に憚る事も無く盛大な溜息を吐いた。